ユカギル人は、新石器時代から東シベリアに暮らしている先住民族=ロシア通信撮影
サハ共和国北東部に位置するチェルスキー町。コリマ川をなめるように吹いてくる冷たい風は、そのまま服の中に入ってくる。空っぽのフルシチョフカ(ニ キータ・フルシチョフ第一書記の時代に建設されたマンション)、板が打ちつけられた下階、錆びた数千トンものまがった鉄、港のクレーン...。
フルシチョフカの間には、板と不要な建設資材からつくられた、傾いだ納屋が数百棟あり、コケがはえている。チェルスキー町の納屋は1990年代に急増したが、住人1万5000人のうち、1万2000人が他の土地に移住したため、あっという間に使われなくなってしまった。港や工場は閉鎖され、公共部門、行政、学校しか残っていない。
最近まで石器時代の文化を伝える
写真提供:タチヤナ・プロトニコワ/ルースキー・レポルチョル誌
4月末に氷の道はすでに閉鎖されているが、タクシーは氷解している場所を避けて走る。村々まで行ける最後のチャンス。その後完全に氷が消えて、モーター ボートが走り始める6月半ばまで、道はなくなる。地区の中心都市まで500キロメートル、ヤクーツク市までは3500キロメートルと、移動の距離はとても 長い。ヨーロッパに匹敵するほどの土地が無人なのだ。
私が一緒に移動しているのは、ユカギル人民会議のヴャチェスラフ・シャドリン議長。体が大きくてメガネをかけている内気な人だ。15年間ヴェルフネコルィムスキー・ウルス地区ネレムノエ村で校長を務め、その後ヤクーツク市に引っ越した。社会福祉のような仕事をしていて、村々を訪問し、書類の手続きを手伝い、子供を病院に送っている。
ユカギル人は家族単位で移動式住居のユルタや土小屋で遊牧生活を送り、河岸で狩りや釣りをしていた。文化には祖先崇拝やシャーマンなど、古代の宗教の特徴が残っている。タイガ(針葉樹林)が広がる寒冷地、東シベリアには、最近まで石器時代の文化が残っていた。ユカギルのシャーマンが亡くなると、その遺体が切断され、肉が干され、お守りとして配られた。頭部は木製の胴体とつなげられ、きれいな服を着せられて、崇拝の対象として住む場所に置かれた。
コサックが持ち込んだ酒と天然痘でほぼ全滅
ロシアの影響が及ぶまで、ユカギル人はレナ川からアナディリ川の河口までの、広大な地域に分散して生活していた。コサックが持ち込んだアルコールと天然痘は、負の影響だった。シベリアの先住民族は、一瞬にして飲んだくれになってしまう。アルコールの作用はヘロインの作用に似ていたため、ウォッカは毛皮製品用獣皮商の主な通貨となった。シベリアの先住民族はまた、感染症知らずで免疫がなかった。もっとも恐ろしかったのは天然痘で、19世紀にほとんどのユカ ギル人に感染してしまった。20世紀までに残ったユカギル人の集落は2ヶ所で、文明からかけ離れた生活をしていた。エヴェンキ語で「ユカギル」とは、「遠方の人」、「凍土の人」を意味する。
幸運なことに、ユカギル人の文化については詳細な記述がある。「人民の意志」派の人々は1880年代、コリマ川流域に流刑され、ユカギル人とともに長年生活しながらその言語を学び、たくさんの童話や歌をつくった。ユカギル人には個人の財産やお金についての概念がなく、魚や野生の小動物を関係者すべてに配っていた。そして、嘘をつくことを知らなかった。
容易にトランス状態に
ユカギル人はこまやかな心を持ち、柔和な性格をしている。そして「北極ヒステリー」、おかしな精神の病、特徴的な意識の変化のある人が多いことで、研究者を驚かせた。簡単にトランス状態になることができ、催眠状態に陥る。若いコサックは冗談でユカギル人に催眠術をかけ、無作法な行為をさせたりしていた。ヒステリーは時に伝染病のようだった。すさまじい音を出し、自分の服をやぶり、川に飛び込もうとし、森に逃げ、高いカラマツにのぼり、何日も枝の上に座っていることができた。このような精神状態は、寒さ、飢え、日照不足と関係しているのかもしれないし、人間が冷静さを覚えたばかりの古代の意識なのかもしれ ない。
ユカギル語の話者は50人足らず
若き言語学者のユーリ・クレイノヴィッチは1937年、コリマの収容所に収容され、ユカギル人と会い、ユカギル語を学び始めた。その17年後に収容所から出所し、ユカギル語についての論文を書いた。以来、言語学者は、この言語をとても愛している。ユカギル語が孤立言語で、関連する言語がないことは、この民族が太古から存在していることを証明している。
ユカギル人のもっとも興味深い特徴は、独自の文字を持っていることである。彼らの表意文字はアルファベットにも象形文字にも似ておらず、模様のようだ。この文字は手紙を書くのに使われた。
研究者は、岩絵と関連性のある、新石器時代の文化遺産に属すると考えている。人間が情報を記そうとした、初めて試みなのかもしれない。
ユカギル語を覚えているのは、50人ほどのお年寄り。ロシア政府は北方民族の人口が増えていると自慢するのが好きだが、これは事実ではない。
アンドリュシュキノ、コリマ、チェルスキーのユカギル人の老人、漁夫、トナカイ飼育者の一部はここ数年、それぞれに言語を救おうとしている。コリマの学 校でユカギル語の授業を始めた人、チェルスキーの学校での教育にこぎつけた人、歌のサークルを開設した人、児童のキャンプを地元で企画しようとしている人などがいる。教えることに慣れていないため、子どもたちはよく理解できず、退屈がっている。不器用な取り組みは、絶滅する民族の最後の努力だ。
タイガに点在する「空中墓」
朝ツンドラに行く。地元民は以前は、墓地をつくらず、故人を埋葬していなかった。永久凍土を掘るのが非常に困難なこと、死との境を隔てるという考えを 持っていなかったことがその理由。死者は死亡した遊牧地で、高い柱の上の小舟に収められた。タイガにはこの「空中墓」がいまだに点在している。何も特別なことなんてない。私はウサギ、リス、木などと同様、生命のくり返しの一点なのだから。
私たちの文明は常に何かを約束する。進歩、イデオロギー、永遠の命...。だがここの世界観は何も約束しない。世界はありのまま、自然や死から逃れることなんてできない。桃色の山を背景にしたこのツンドラに、そして自分のおかしなファンタジーの世界に残ったら、自分は自然に同化する。そう、自分も自然に他ならないのだから。
曲がりくねった川でようやく休む。ここの人々は、土地をまるで本のように読み取る。平坦なツンドラを70キロメートル進み、来たいところに来れた。
板、クギ、屋根用フェルト、工具、チェーンソーを降ろして、先に進む。数百キロメートルにわたって他には誰もいないから、工具を隠すことなんて考えもしなかった。
自然と人間の境目にいる人
乗り物で1時間激しく走って、初めて遊牧地を見る。チウム(円錐形の移動式住居)、複数の犬ゾリ、ソリに積まれたガラクタ、チウムに立てかけられたカービン銃、遠くから見えるようにと事前に運び込まれ、積まれた、エゾマツの丸太小屋のように見える薪。月が輝く大地では、遊牧地がとても小さく見える。
日に焼けてすっかり顔が茶色になった若い牧夫が話しかけてくる。「私の名前はニコライ。あなたが来るまで晴れてたんだ。今は吹雪になっちゃって。破戒者がいるのかなあ」と言いながら私を見る。
チウムは木の骨組みと毛皮からつくられたテントだ。入口にはパイプのついた鉄製の簡易ストーブ、中心には低いテーブルがある。ストーブは1日中たかれている。床にも毛皮がしいてある。トナカイの毛皮はとても温かく、永久凍土の上なのに底冷えしない。チウムの中には3人いる。牧夫のニコライの顔は茶色いのに、耳、額、首は白い。はれぼったい顔の臆病で不器用なオレグは、家のことを手伝っている。顔の肌が荒れ、目に涙がにじみ、かすれた声のラリサは、活発で 明るい。ニコライのことをピョートルと呼んでいる。
「ピョートル、どうやって道を見つけるの?」
「いろいろな方法があるさ。太陽とか月とか。今はみんなGPSを持ってるから、位置の探し方をすっかり忘れちゃったね。僕は共同体のツンドラをすべて知ってるよ、あたりまえだけど」。
彼らのツンドラの広さは300キロメートル x 500キロメートル。
原始的な文化に対する情け深い態度は、神に祈る無学な老女を嘲笑するコムソモールと同じぐらい愚かだと頭の中で思った。コリマのタイガに暮らすユカギル人は、人間が何かを誰よりもよく知っている、自然と人間の境い目にいる人なのだ。
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