画像:ドミートリイ・ディヴィン
頭(後頭部)をかく
ロシア人は何かに困惑したときに首筋をかく。問題は、何のためにそれをするのか、だ。まさか、脳の血行を良くするためではあるまい。一説によれば、このジェスチャーは民衆のおまじないから来たものだという。このように、私たちの先祖は、さらに遠い先祖の天才の助けを借りていたのだ。
シャツの胸の部分を引き裂く
画像:ドミートリイ・ディヴィン
もともとこのジェスチャーは、即興で思いついた「誓い」のようなものだった。この大げさなジェスチャーで、私たちの祖先は、正教徒だという「所属」を示すため、胸の十字架を見せたという仮説がある。死刑や体刑の際に執行人が、罪人のシャツの上部を引き裂いた事実も知られている。そのようなわけで、自らの立場を相手にわからせる手段として自ら服を裂いてアピールすることは、「真実のために死刑になる用意がある」という意味をもつことになった。
帽子を地面に投げる
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これも大げさなジェスチャーで、何らかの絶望的な気持ちを表す。ロシアの男性にとって、頭につけるもの(あごでも同じ)は、品格、威厳、社会的地位を象徴するものであった。公の場で帽子を脱がされることは重大な不名誉であり、一種の社会的な罰とすら見なされていた。通常これは債務者に対して行われたものであった。自発的に帽子を地面に投げ捨てると言うことは、大変なリスクを負う覚悟を示すもので、それは、不成功の場合、社会からの追放といった危険に値するものであった。
自分の胸をたたく
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このジェスチャーは、遊牧民の軍隊の伝統からきたものの一つで、タタール=モンゴルからルーシへともたらされたものだ。このようにして彼らは自らの君主に忠誠を示した。こぶしで胸を叩くのは、忠誠の証しだったのだ。
「やぎ」
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このジェスチャーは、犯罪者の「指詰め」あるいはメタル・ミュージック・ファンと関係があると誤解されているが、すでに何千年も前からあり、黒魔術や邪悪な霊から身を守るためのものだった。おそらく年配者たちは、「角を生やしたやぎが子供たちを追いかけてくる。お粥を食べないのは誰だ? ミルクを飲まないのは誰だ? 突き刺しちゃうぞ、突き刺しちゃうぞ…」という遊びを覚えているかも知れない。大人が子供たちに、やぎが角で突くように、右手の小指と人差し指で雄やぎの角の真似をして見せるものだ。これは単なる遊びではなく、私たちの先祖はこのようにして子供たちから邪視(呪い)を払っていた。いくつかの正教のイコンでは、キリストや聖人たちが小指と人差し指を出しているのが見られるのも面白い。
人差し指と中指の間に親指
画像:ドミートリイ・ディヴィン
このジェスチャーはたくさんの文化圏においてそれぞれ特徴的なものである。これもまた、もともと不浄な力から身を守る手段として用いられていた。ルーシにおけるこのジェスチャーは、おそらくドイツ人から伝わったもので、こういう卑猥なジェスチャーでロシア女性を誘惑したのだろう。このジェスチャーは「フィーガ」とも呼ばれるが、それは、ドイツ語の表現 fick-fick machen (女性を誘うときに使われる古くからの決まり文句)から生まれたとの説もある。このジェスチャーのロシアにおける伝統的な意味は、そこから変化したもので、断固たる拒否を表すようになった。
首をはじく
画像:ドミートリイ・ディヴィン
このロシアの酒場の伝統文化からきたジェスチャーは、19世紀から20世紀始めにかけて広がった慣用句「襟の中に流し込む=ぐでんぐでんになる」に由来する。この表現は将校たちの仲間内で生まれたもので、「口達者で道化者」のラエフスキー大佐という人が考えついたものとされる。伝説によれば、彼は他にも、「一杯機嫌に酔っぱらった」という意味で「ポドショフェー」(フランス語のechauffe=興奮した、から)という言葉を使うなどの「酒飲み」の慣用句を発明したらしい。興味深いことに、このジェスチャーは1914年の帝政ロシア、ニコライ2世の禁酒法時代に、闇取引師が、酒類をあらわすものとして使うようになったといわれている。
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