Alamy/Legion Media撮影
昨年9月、モスクワで開かれた見本市「フラワーエキスポ2014」。日本各地から6団体・企業が出展した中でも、島根県が設けた牡丹のブースはひときわにぎわった。地元バイヤーから新規の注文が入り、すでに販売実績のある極東から首都圏の大市場へと広がりを見せる。出荷元は日本一の牡丹生産地、地元で「大根島」として親しまれる松江市八束町だ。
ブースではロシア人スタッフに交じり、1人の島根県職員が忙しく駆け回っていた。貿易促進支援室主任の福間猛氏(40)である。6年前に牡丹輸出を発案し、多くの関係者の協力を集めて実現にこぎ着けた、牡丹プロジェクトの中心人物だ。
留学時代から温めたアイデア
アイデアの源は、大学時代のモスクワ留学にあった。誕生日や婦人デーの贈り物、ダーチャでの園芸など、ロシア社会では日本以上に花の存在感が強かった。「大きな花をつける大根島の牡丹は喜ばれるだろう、と当時から思っていたんです。その後入庁し、2008年春に貿易促進の部署に異動して、すぐに牡丹が頭に浮かびました」(福間氏)。
そのころ、ウラジオストク日本センター元所長の浅井利春氏(66)が帰国して浜田市に移住し、県のアドバイザーに就いたばかりだった。福間氏は、牡丹を輸入・販売してくれるロシア人がいないかアドバイザーに相談した。約2カ月後、候補の1人として連絡先を教えられたのが、ウラジオ日本センターの華道サークルに通う空間デザイナー、エレーナ・アンドレーバさんだった。園芸が趣味で日本にも関心が強い。ただ貿易経験はないという。まずメールを交換しながら、牡丹に関する貿易制度について双方で調べ始めた。
しかし貿易は容易ではなかった。植物の輸出入は厳しい検疫をともない、国を問わずハードルが高い。その上、日本からロシアへの牡丹輸出は前例がない。ロシア貿易に詳しいとされる様々な団体・企業に尋ねたが、いつも回答は「無理」だった。そもそも、輸出できたところで人気が出るとは限らない。関係者の間にはあきらめムードも漂い始めていた。
手詰まりになっていた2009年3月、かねて紹介されていたアンドレーバさんが華道の研修で翌月に来日することがわかった。京都に数日滞在するという。4月、福間氏はJAくにびき園芸産直課の石倉功課長(45)らと京都に向かった。石倉氏の手には鉢植えの牡丹。前年に写真や資料は送っていたが、実物を見せるのは初めてだ。
京都市中心部の喫茶店で、双方が初めて顔を合わせた。直径30センチに迫ろうという見事な牡丹の花に、アンドレーバさんはしばらく声が出ないほど見入った。「これならロシア市場でも評判になる」――。誰もがそう予感し、秋に苗100本の試験輸出を目指すことで合意した。
「とにかくやってみよう」
輸出側も輸入側も気持ちは一つ。残る問題は通関・検疫をどうクリアするかだ。本当に無理なのか。県はロシアの貿易関連法・公文書を片端から和訳して検討した。福間氏は「牡丹輸入を禁じる文言は見あたりませんでした。前例がないだけで、やればできるかも、まずやってみようという話になったんです」と振り返る。
何が必要かロシア側で詳細に調べ上げてくれたのは、アンドレーバさんに加え、ウラジオ日本センター職員のオリガ・スマロコバさんだった。2人からの求めに応じて島根側が資料を整えて送る、といったやりとりを3カ月近く続けた末に書類は完成。ついに2009年9月、切り花数十本と、当初予定より多い200本の苗の試験輸出に成功した。このときは日本センターで牡丹の展示会を開き、苗は来場者にプレゼントした。
販売は翌2010年からスタートした。県、市、JAのほかジェトロなども連携し、2年続けてハバロフスクとウラジオストクで即売会を開いた。2012年以降は隣県の鳥取県境港市などと共同でフェアを実施。苗は1本約1100ルーブルと高価だが、イベントのたびに予定数量を完売してきた。
牡丹の専門家、松江市花卉生産振興センターの桑垣一成所長(52)が初めてロシアを訪れたのは試験輸出の2009年秋、展示会開催に合わせてのことだった。桑垣氏はこのとき初めてアンドレーバさんに会い、牡丹の扱い方を直接指導した。植物や園芸に関するパートナーの知識・技術レベルは想像以上に高く、こちらの意図をすぐに吸収する。両者の間にはすぐに信頼関係ができた。アンドレーバさんはロシア国内での牡丹のブランド名に、桑垣氏の愛称からくる「PapaBotan(パパ・ボタン)」という名をつけた。
牡丹の力が情熱を生んだ
極東での熱気が、やがてウラル山脈を越える。ウラジオ進出から2年が過ぎたころ、モスクワの日本センターから島根県に連絡が入った。ロシア科学アカデミーに属するサンクトペテルブルクの植物園が牡丹の評判を知り、欲しがっているとの情報だった。そこで苗50本を寄贈したことが、後々につながる。
寄贈をきっかけに植物園と島根との交流が生まれ、2013年3月には植物園長や研究者の一団が松江を訪れた。「ペテルブルクで牡丹の学術シンポジウムを開きたい」との意向がロシア側から示されたのはこのときである。島根側は快諾。準備作業が急ピッチで進んだ。6月、「パパ」こと桑垣所長の講演にロシア人研究者が聞き入る様子を、同行した県の福間氏、JAの石倉氏も見守った。その後、このシンポを聴きに来ていた地元の花き業者から注文が舞い込む。期せずして販路が広がった。
ペテルブルクでのシンポには、モスクワ駐在のジェトロ職員が手伝いのため駆けつけていた。ここで島根の牡丹チームは、モスクワで毎年開かれるフラワーエキスポについて職員から教えられ、出品を強く勧められた。この職員は前任地がジェトロ松江で、2011年にはウラジオでの松江フェアで一緒に接客にあたった本人だった。シンポの1年3カ月後、モスクワの展示場に「PapaBotan」の看板が掲げられる。
多くの歯車がかみ合い、ロシアで発展を続ける松江の牡丹。関係者の努力によるものと言って間違いないだろう。だがそれだけではないと福間氏は言う。「ほかの産品ではこうならなかったかもしれない。私たちの力以上に、ロシア人に愛される牡丹の力ですよ」。
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