『春の水』、1897年
イサーク・レヴィタン春の光に追われ、
近き山々からはすでに雪が
濁った小川となり流れ出ずる
水溢るる草地へと。
明るい自然のほほ笑みで
眠り覚めぬまま一年の朝を迎える。
青く輝く蒼穹よ。
まだ透んだ森たちが
産毛のごとく新緑に染まりゆく。
(アレクサンドル・プーシキン、韻文小説『エヴゲーニイ・オネーギン』より抜粋)
『ミヤマガラスの飛来』、1871年
アレクセイ・サヴラーソフ春は、計画や予定を立てる時だ。しかし、中庭へ出たリョーヴィンは、若芽や若枝をどちらへどんなふうに伸ばせばいいのかまだ知らぬまま、膨らんだ蕾の内に閉じ込められている春の木のように、自分でもよく分からずにいた、自分の愛するこの農地で、どんな仕事にこれから取り掛かればよいのだろう、それでも彼は、とても素晴らしい計画や予定に満ちていると感じていたのだった。
(レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』)
『晴れた春の日』、1910年
コンスタンチン・ユオン春は、大地も溶けだして、人間たちも少し柔軟になるようだ。
(マクシム・ゴーリキー、短編『火事』)
『サンクトペテルブルク付近での春』、1896年
イワン・ウェルツとはいっても、見知らぬ新しい土地への恋しさが、とりわけ彼を、春になると苦しめるのだった。
(ウラジーミル・ナボコフ『マーシェンカ』)
『早春』、1895年
アルヒープ・クインジもし人間として考えるならば、この春の四月の日というのは、彼女が「ええ」と言ったあの人間の一日に似ている。自然の中でも、やはり同じように「ええ」と言われるのだ!--そうして、自然は緑に色づき出す。
(ミハイル・プリーシヴィン『日記』)
『春の畑』、1820年代
アレクセイ・ヴェネツィアントフ冬がじりじりするのには訳がある。
もう去りゆくときが来た―
春が窓をこつこつと叩き
中庭から急き立てている。
すべてがあくせくとし始め、
すべてが冬を遠くへ追いやろうとする―
ひばりたちは空高く
さえずりを響かせている。
(フョードル・チュッチェフ「冬がじりじりするのには訳がある」)
『春』、1921年
ボリス・クストディエフおお、終わりなき、果てなき春よ―
終わりなき、果てなき夢よ!
おまえを知ろう、人生よ! 受け入れよう!
盾の音をも歓迎しよう!
(アレクサンドル・ブローク)
『春』、1911年
セルゲイ・ヴィノグラードフ解放は近い。すべてを赦そう。
光線が 湿った春のきづたの上を、
駆けあがっては駆け降りていくのを目で追いながら。
(アンナ・アフマートワ『私の声は弱い』)
『春のための頌詩』、1927年
アレクサンドル・デイネカ都市は冬ものを脱ぎ捨てた。
雪は涎を垂らしている。
また春がやってきた、
ユンカーのように、間の抜けてお喋り好きな。
(ウラジーミル・マヤコフスキー『春』)
『春』、1929年
カジミール・マレーヴィチ昼は太陽が出て風そよぐ、こんな日は、家の隅っこにゆき、風を免れ、太陽がわずかに暖めてくれた壁に背を押しつけて、春と暖かさが訪れた喜びを心から感じることができる…。じっと立ったまま、目を細め、ほほ笑むことが。
(エヴゲーニイ・グリシコーヴェツ)
「早春」、1902年、スタニスラフ・ジュコフスキー
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