コマ録りによって制作された史上初の人形アニメーション。20世紀初頭、世界でもっとも新しいこの映画は商業アニメの創始者であるウラジスラフ・スタレーヴィチによって撮影された。
ストーリーは、人気があった騎士たちの恋愛ものを皮肉を交えながら踏襲したもので、内容は、夫のいるクワガタムシの女王をめぐって、敵の種族であるカミキリムシのゲロス伯爵が戦いを挑むという話である。
撮影には、長きにわたって昆虫学に熱中していたスタレーヴィチ監督自身のコレクションである乾燥させた昆虫が使われた。
最初、世界で驚異的な成功を収めたこの作品は無声映画であったが、100年後、ロシアの国立映像基金が、作品を修復し、音楽を乗せただけでなく、昆虫の情事をめぐる戦いの複雑な部分も現代の観客にもわかりやすくするため、ナレーションをつけた。
最初のカラーのトーキーで、ソ連初のカラーアニメーションは、詩人で翻訳家のサムイル・マルシャークと共同で活動したイラストレーターのミハイル・ツェハノフスキーによって考案された。「郵便」は、マルシャークの同名の詩に寄せて描かれたツェハノフスキーのグラフィック画を基に撮影された。しかも、詩の押韻が非常に明確にアニメのリズムとストーリーに合致していた。
残念ながら、現在は、最初の無声バージョンでしか、このアニメ界の大きな飛躍を評価することができない。もう1人の有名な詩人ダニイル・ハルムスの詩の朗読が入ったカラーの音声入りバージョンは残っていない。しかしながら、1960年代半ば、ツェハノフスキーは、技術の進歩に伴い、妻と共に、自身の傑作のほぼ同じ作品を新たなバージョンで制作した。
チャーリー・チャプリンが賞賛した世界初の長編アニメ。監督はアレクサンドル・プトゥシコ。ピオネール少年のペーチャ・コンスタンチノフ(彼こそがガリバー)の旅物語で、冒頭は実際の俳優が出演する古典的な児童映画のようなのだが、作品はペーチャが夢の中で入り込む人形の「リリパット国」の描写が大部分を占める。
ソ連だけでなく、世界各国で公開されたこの作品は、一見、共産党が掲げたイデオロギーに完全に合致し、ピオネールと労働者たちをブルジョア社会と対比させたように見えるが、よく見ると、労働者の人形はすべて同じなのに、貴族はそれぞれが違う姿をしているのが分かる。また作品全体を通して、あらゆる体制というものに対する風刺が散見される。
イワン・イワノフ=ワノ監督による作品で、ロシアの詩人ピョートル・エルショフによる古典的なおとぎ話を映画化したもの。ウォールト・ディズニーがこれをアメリカのアニメーターたちに見せたことから、アメリカ・アニメの教科書の一つとなった。作品はカンヌ映画祭の受賞作品である。
ストーリーは、ロシアの民話の大部分をなぞったものである。その内容は、ある父親に3人の息子がいて、末っ子はイワンの馬鹿と呼ばれている。しかしその善良さから、彼は魔法のような出来事を体験し、美しい姫の心を自分のものにするために彼を利用しようとする厳格な王様に出会う。もちろん、せむしの仔馬と一緒に。しかし、魔法のようなフィナーレでは、まさにハリウッドさながらのハッピーエンドを迎えるのである。
1970年代半ば、イワノフ=ワノはより近代的な技術を用いて、作品を改良し、その結果、アメリカでも広く公開された。
アンデルセン童話のもっとも有名な映画化作品は、カンヌ映画祭で賞を受賞しただけでなく、有名な日本のアニメ作家、宮崎駿にも大きな影響を与えた。
監督はレフ・アタマノフ。美術家のレオニード・シュワルツマンとともに、ライブ・アクションの原型となったユニークな技術を用いた作品づくりを行った。まさにそれにより、アーティストのマリヤ・ババノワを描き映した雪の女王は、真の悪の力と冷たさで他の登場人物とは異なっており、無防備なカイは太刀打ちできない。しかし、周囲のすべてを温めてくれるゲルダだけがそれに抵抗することができる。
酷寒も吹雪も恐れない親しい人々の心からの支えをテーマにしたアニメは、新年の奇跡となり、クリスマス休暇に、ソ連だけでなく、それ以外の国々でも放映されたが、とりわけアメリカの子どもたちには大人気となった。というわけで、何年も後に、こちらもアンデルセンのおとぎ話にインスパイアされた「アナと雪の女王」が伝統的なクリスマスのアニメになったのも偶然ではない。
もう一つ、ミハイル・ツェハノフスキーによって映画化されたアンデルセン童話で、ビジュアルが大きな意味を持っている。普遍的な「雪の女王」と異なり、ここでは、デンマークの作家の童話の特徴が押し出されている。
魔法の力で、意地悪な継母が兄弟たちにかけた呪いを解こうとするという不安に満ちた物語を、小さな観客を驚かせないよう丁寧に作られているのが特徴である。
有名な画家で監督のフョードル・ヒトルクの初めての風刺的作品は、ヴェネツィア映画祭をはじめとする数々の映画祭で賞を受賞した。というのも、作品にはソ連の習慣に関する正確なディーテールがたくさん取り入れられていたにもかかわらず、ストーリーは普遍的なものであったからである。しかも、この作品はアニメでは珍しい推理ものであり、劇映画の法則に従って編集されている。
47歳のセミョーン・セミョーノヴィチ・マミンは法を守って生きる市民であるが、ある朝、大声で話をする隣人に対し、武器を手に取る。しかしなぜこんなことになってしまったのか。
もちろん、アニメは、目覚まし時計が鳴るまで「あと5分」寝ていられるのを夢見る大人により理解されやすいものである。しかし、子どもたちも、とくに多くのソ連のフルシチョフカのように防音のない家では、下の階の人に迷惑になるような足音で歩かず、隣人を尊敬するということを学ぶのである。
善良な隣人関係、親子の関係について描いたフョードル・ヒトルク監督のもう一つの作品は、まったく違う技術で作られている。「トプティーシカ」はとても愛らしい映画で、それぞれの登場人物―落ち着きのない子ぐまも、大きな目のウサギも、思わずスクリーン越しに撫でたくなるほどである。
しかし、もっとも重要なのは、子ども向けのお話に特徴的なものである、見た目に違いに関わらず、寛容であり友情を育むべきだということを教えるものとなっている点である。
ボリス・ジョシキン監督が得意としたスポーツをテーマにした数少ないアニメの一つ。シニカルな功労選手たちと、仲良しの若いチームとの対立を描いた作品で、そのダイナミックな編集は、本物のホッケーの試合とも比較しうるものである。しかし、映画はスポーツの勝ち負けだけでなく、真の感情、結束したチームの力、そして夢を信じる心などを描くものとなっている。
ヒトルク監督が、アメリカのアニメ「マダガスカル」が公開されるもっと前に作ったアニメは、サーカスで働くライオンが休暇にそのおばあさんのところに行くという話を描いている。この作品は、カリスマ性や愛情を込めて擬人化されたライオンだけでなく、職業上の技能は休暇の際にも役立つというかなり大人っぽい内容で、驚かせてくれる。
もっとも感動的なソ連のアニメで、アヌシー国際アニメーション映画祭で第一等賞を受賞した。ロマン・カチャノフ監督のセリフのない短いパペットアニメは、犬を飼うことを夢見る子どもの痛みと希望を表すのに成功した。もしあなたが「ハチ公物語」を見ても泣かないロシア人を見たとしたら、それは、この「ミトン」で鍛えられたからである。
スウェーデンの女流作家アストリッド・リドグレーンが書いた子どもの孤独について描いた童話はソ連でとても人気がった。本が出版されてほぼすぐ後に、普通の家庭に生まれた礼儀正しい男の子が、力に溢れ、甘いお菓子を食べることと勇敢に屋根に登るのをいつも助けてくれる大人の友達(しかもカールソンの背中にはプロペラがついている!)を考え出したというアニメを制作した。もちろん、助けてくれるのは、両親が仕事で家にいない子どもの要求にはまったく理解のない厳しい「お手伝いさん」(今から考えると責任のないベビーシッター)のフレケン・ボックがいなければ、である。
ディズニーの「くまのプーさんと忙しい一日」の公開とほぼ時を同じくして、ソ連でもアラン・ミルンのおとぎ話をモチーフにした仔熊のアニメが登場した。
もっとも、ソ連版のくまのプーさんは、クリストファー・ロビンやエキゾチックなトラは登場せず、主な登場人物も、より独立した、よくある人間らしい情熱を持った存在として描かれている。
短期なヴィニーは自分の力を過大評価し、しょっちゅう勇敢な旅に出発し、楽観的なピャタチョクは果てしない楽観主義を持ち続け、メランコリックなイーアはちょっとしたことで落ち込み、粘液質なフクロウとウサギは、その現実主義で友人たちを地に落とす。
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ロシアでもっとも人気のあるロシアで制作されたアニメで、最近、続編が作られた。内容は有名な「トムとジェリー」と同じようなものである。ただソ連版では主人公は猫とネズミでなく、オオカミとうさぎとなっている。しかもソ連のオオカミはそのエネルギーとパワーにおいて、外国版のネコを100点は上回り、しかも、タバコを吸ったりもする。
さらに、作者のヴャチェスラフ・コテョーノチキンは当時人気があった文化を思わせるものを盛り込んだ。後に、「シンプソンズ」や「サウスパーク」などでも同じような手法が使われるようになっている。
ロマン・カチャノフがエドゥアルド・ウスペンスキーの物語を基に制作したソ連のシリーズアニメのキャラクターは、オリンピック代表チームのシンボルとして使われたロシアだけでなく、日本でも人気となり、これをモチーフにした独自のアニメも制作された。
ちょっと変わったチェブラーシカは、ぬいぐるみのクマにも見えるがとても大きな耳をした「科学的に知られていない動物」として、ソ連ではエキゾチックな現象であった。そんなチェブラーシカは、オレンジの箱に入ってソ連にやってきて、いじわるな老女シャポクリャクの狡賢い陰謀にも負けず、品行方正に生きるワニのゲーナの親友になる。
ソ連アニメの登場人物は皆から愛されていて、今年の末にロシアでは、人形ではなく、コンピュータ技術を用いた、チェブラーシカの長編映画が公開される。
ソ連アニメには珍しい英雄をテーマにした長編叙事詩。もっとも、ラディヤード・キプリングのおとぎ話をもとにしたいくつかの短編アニメから作られたものである。第二次世界大戦を体験したアニメーターによるほとんどの映画と同じく、ここでも主要な登場人物となっているのは孤児である。少年は危険なジャングルで住む場所と家族を探さねばならなくなる。
冒険アニメであり、ソ連アニメを代表する世界でももっともよく知られる映画の一つ。ハリネズミが友達のクマを訪ねていくお話は、映画評論家の間で、何度も、全時代を通した最高の作品と評価されている。
ユーリー・ノルシュテインの妻で画家のフランチェスカ・ヤルブソワが絵を描いたノルシュテインの映画は、主人公たちの驚くべき姿だけでなく、背景や編集の素晴らしさによっても古典的作品と見なされている。こうした技術により、観客たちは、ハリネズミと一緒に、アニメというよりも映画的な霧や川を超えて、この大変な道のりを案じるクマのもとに行く体験をするのである。
エドゥアルド・ウスペンスキーの小説をモチーフにした、世代を超えて愛されているアニメシリーズ。クラシカルな「ヴィニー・プーフ」に似ているが、クリストファー・ロビンの代わりに登場するのが、「フョードルおじさん」という大人っぽい名前を持つ少年。両親と離れ、猫のマトロスキンと犬のシャーリクとともに村での生活を営んでいる。もう一人の登場人物は不運な年金生活者で郵便屋のペチキン。公共事業に携わる人間らしく、あまりにも幼くして自立した生活を送る少年のことを心配している。
フィンランドの作家トーヴェ・ヤンソンの作品に出てくるもっとも有名な登場人物は、ソ連でも特に愛され、1970年末から1980年初頭にかけてムーミーの家族や友人たちを描いたアニメ作品が2本続けて公開された。
1作目は、パペットアニメで、ヤンソンの童話を基に、モスクワで有名な女流詩人リュドミラ・ペトルシェフスカヤによって描かれた。声の出演には、当時もっとも有名なソ連の俳優たちが招かれた。この映画は、あらゆる意味においてファミリー映画であった。
2作目は絵を描いて作られたドローアニメで、「スヴェルドロフスクフィルム」のスタジオで制作された。内容もソフトで子どもらしいお話に仕上がっており、登場人物の顔にもそれが反映されている。
「ゴッド・ファーザー」が公開されたあと、世界中がニーノ・ロータの歌を口ずさむことができたものだが、ソ連では、このよく知られたサウンドトラックがアニメに使われた。
そのアニメとは、他者を受け入れることによって、自分自身を受け入れようとすることについて、少し別の角度から描かれた作品であった。表現主義的なこのアニメは、静かな風景画を描く画家が、突然そこに現れた宇宙人と出会うというストーリーである。そしてこの宇宙人は自分を取り巻くあらゆるものに姿を変えられるのである。鮮やかな自然と、カリスマ的なニーノ・ロータのメロディのおかげで、二人は共通の言語を見出す。
「霧の中のハリネズミ」と同じくユーリー・ノルシュテインが制作した、全時代、全民族の主要なアニメの上位に位置づけられるもっとも哲学的なアニメ。30分もないアニメ野中に、さまざまな時代、さまざまな国の(広い意味での)アーティストたちのスタイルと世界観が融合されている。アニメの中で使用されている子守唄の持つ意味合いも大きい。
ときおり描かれる夢の世界では、タルコフスキーやフェリーニ、ロルカ、プルースト、レンブラント、そしてノルシュテインがアニメに特徴的だった動物だけでなく、人間を描く上でインスピレーションを受けたピカソなどの影響が所々に感じられる。
同名のロシアのおとぎ話を下敷きにしたこの音楽アニメは、ほぼすべてのフォークロアのヒーローや魔法のお話を混ぜ合わせたものである。登場するのは、父親に俗悪な貴族に嫁がされようとする美しい皇女と、それを助ける素朴な煙突掃除人のワーニャ、そしてメランコリックなヴォジャノーイ(水の精)と元気いっぱいヤガー婆さんの集団。
しかもそれぞれの登場人物にテーマソングとメロディがある。アニメの中で重要な意味を持つ白樺を始めとしたきわめてロシア的な美しい景色を背景に、愛の力を描いえた善良なミュージカルである。
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9歳の少女アリサとその父親であるセレズニョフ教授が珍獣を探して宇宙へと向かう22世紀の冒険を描いた驚くべきファンタジー映画。映画は「スターウォーズ」のソ連版とも言えるものであるが、太陽系外惑星への旅というものに反戦的アプローチをしている。すべての人物は、見慣れた宇宙飛行士とは異なっているが、ジョージ・ルーカスに劣らぬSF作品に仕上がっている。しかも全編を通して、1980年代に人気を博しつつあったテクノレイヴ音楽が使われている。
母親と夢を信じる心を探す短いながらも感動的なお話。奇跡的に絶滅を逃れた「ディズニー」ばりの大きな目をしたかわいいマンモスの子どもは、必ず自分の母親を見つけ出すことができると信じている。多難な旅の中、「波にも風にも負けない」マンモスちゃんは、自分を助けてくれるさまざまな動物に出会う。このアニメで流れたマンモスちゃんの歌は大ヒット曲となり、ソ連の文化と生活に根付いた。
年老いて捨てられた犬と、かつての栄光を取り戻す手助けをしようとする狼のお話。ウクライナ民話「セルコ」を基に作られている。この作品は、エドゥアルド・ナザロフ監督によって、多くの国で賞賛された。
ナザロフ監督は、この作品に独特の牧歌的な色合いをつけ、またロシア語の諺「年輩の馬は畝を台無しにしたりしない」(=年老いていても、経験を持った人は、それを生かしてすべて正しく行うという意味)を皮肉たっぷりに表現している。
インドでは、犬の声をボリウッドの主要なスター、ミトゥフン・チャクラボルティが演じ、ノルウェーでは、狼の声を「ユーロヴィジョン」で優勝を果たしたアレクサンドル・ルィバクが演じた。
アレクサンドル・タタルスキーのクレイアニメ。この作品は、新年に向けて、たいていの場合12月31日に、「素早く、長く」準備をすることに慣れているロシア人についての多くのステレオタイプを理解するのを助けてくれる。新年の前夜にもみの木を探しに行き、見つけることができると信じている落ち着きのない男性についての風刺的なアニメでもある。
おそらくこれは、ロシアでもっとも有名なドモヴォーイ(家の精)である。アニメでは、まったく幼いいたずらっ子で、ナファーニャという賢い教師や愛想の悪いバーバ・ヤガー、そして年齢に相応しくないほど賢いナターシャという女の子と一緒にいる。クージャは、別世界の力を信じる人々の気持ちを表す一方で、自分を取り囲むまったく異なる人々や生物を団結させていく。これこそが家庭の温もりを守る人物の真の特徴ではないだろうか。
エキセントリックなオウムのケーシャが当時のあらゆる事象を口にするようになっていくというペレストロイカ時代の諷刺的アニメ。ケーシャがニュースで耳にしたタヒチという国、犯罪報道、歌謡界のスター、アーラ・プガチョワの歌、ソ連の有名なコメディアンのセリフ、そしてもちろん、ソ連の日常に入り込んできた資本主義といった話題が、作品には散りばめられている。
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「走るように生まれてきた者は飛ぶことはできない」ということをテーマにした哲学的アニメ。ダチョウはトカゲを捕まえようとするが、トカゲは尻尾を切り離し、追いかけてくる者から簡単に逃げる。突然、ダチョウに同情したハゲタカはダチョウに飛び方を教えるのである。
食物連鎖に対抗しようとする印象深いお話は、ソ連のアニメ界にアイロニカルな画風を広めたアレクサンドル・タタルスキーと、その後、アメリカの「シンプソンズ」の制作に加わったイーゴリ・コヴァリョフによって作られた。
同じくタタルスキーとコヴァリョフによって制作されたフーリガン的な作風のアニメ。ソ連の大人向けの「推理もの」のパロディである。
主人公はピロート兄弟で、兄のボスはいつもシャーロック・ホームズさながら、帽子をかぶり、パイプをくわえている。そして面白い帽子をかぶった同僚は、動物園から誘拐された珍しい縞模様の象の事件を調査している。アニメでは「まったく何も分からない」というフレーズが何度も繰り返されるが、最終的に、探偵たちは、自信と幸運によって、なんとか犯人を無害化するのに成功する。
もっとも有名なロシアのオリジナルアニメ作家の一人、ガリー・バルディンが作ったこの傑作は、カンヌ映画祭短編部門のグランプリを受賞した。
もっとも驚くべきことは、アニメが針金で作られているということである(背景はほとんどない)。しかも、この針金による表現は、人間は外界から自分を故意的に遮蔽することができ、尖った針金の中に留まっていられるという隠喩ともなっている。
「カリブ海の海賊」が公開されるもっと前に、ダヴィド・チェルカスキー監督がロバート・ルイス・スティーブンソンの小説を映画化した。児童向け映画とその親世代の両方を対象にした中間的な作品である。海賊の生活には、アニメでは表現しにくい悪い習慣がつきものであることから、チェルカスキーはこの「宝島」で、制作時間の不足も相まって、劇シーン部分を入れている。ちなみに、アメリカで公開されたアニメではこのシーンはカットされている。
イワン・マクシモフ監督は、このアニメ作品で、ベルリン映画祭の「金熊賞」を受賞した。アニメの副題である「高尚な精神性の映画」という言葉は、空虚さの中に、もっとも単純な意味が隠され、ストーリー展開がビジュアル的美学となっているアートハウス的な映画の傾向を反映したものである。モーリス・ラヴェルの音楽を使ったこのアニメではまったくそうした映画であると言える。
「オスカー」受賞作品であり、IMAX映画館のために撮影された世界で初めてのアニメ作品。 文学に精通しているアニメ作家、アレクサンドル・ペトロフの作品である。ヘミングウェイの最後の小説の映画化には、2年半が費やされた。というのも、すべてのコマがガラスに描かれたからで、絵を描くのには筆はもちろん、指が使われている。その結果、精神力と感動的な友情をテーマにした、まるで魔法にかけられたかのように美しい作品に仕上がっている。
国営の映画スタジオが存在しなくなった1990年代の映画界の危機後、初めて制作された長編アニメ。作品は、ドイツの小説家ヴィルヘルム・ハウフの同名の小説をモチーフにしたもので、「ディズニー」的な伝統に沿って、魔女にかけられた呪いを解こうとする少年ヤコブについて描いたもの。彼を助けてくれるのは、優しい心と愛である。
ロシア初のシリーズアニメは、当初は商業的プロジェクトとして立ち上げられたが、ロシアでもっとも人気のあるロシア内外でもっとも人気の一つとなった。「スメシャーリキ」は丸い形の新たなチョコレート菓子のパッケージのイメージから生まれた。しかし、このキャラクターがあまりにもかわいかったことから、このキャラクターを使った商品の販売促進に利用しようとシリーズアニメとなった。そして、明るいクローシ、ロマンティックなニューシャ、メランコリックなバラシ、実直なコパティチ、冒険好きのロシャシ、賢明なカール・カルィチなどの丸いキャラクターが登場した。
叙事詩に基づきつつ、ロシアのボガトゥイリたち(戦士)の英雄性に皮肉な形で疑問を呈するロシアでもっとも人気のシリーズアニメ。
世界的にフェミニズムが謳われる時代よりもっと前に、このアニメに登場する青年たちは、10年以上にわたってペチカの上に寝転がり、女性の助けなしに何もできずにいた。そしてもちろん、シーザーにちなんでユーリと呼ばれるカリスマ的な馬ももちろんである。
このシリーズは、ロシアのアニメとしては珍しい長編映画で、時代に見合った冗談を理解する大人にとっても、そして子どもにとっても楽しめるものになっている。
世界中にこのアニメのファンが数多くおり、ギネスブックにも掲載されている。あるエピソードが、YouTube史上もっとも再生回数を記録したのである。
アニメのストーリーは、クマの家を訪ねる女の子について描いたロシアの民話だけでなく、「トムとジェリー」的な内容も含んでいる。しかし、このアニメのマーシャは、落ち着きのないネズミと同様、何かしでかしては森に逃げ、一方のクマは、自らの動物的直感からネズミを追いかけるネコとは違い、より大人の賢明さを発揮する。
このアクティヴな子どもたちと冷静を保つ両親との対比に、アニメの成功の秘密があるのかもしれない。
子どもと一緒にロシアの超人気アニメ「マーシャと熊」を見るべき5つの理由>>
カンヌ映画祭の受賞者であるガリー・バルディンが複数の技術(パペットとクレイ)と多くの文化的基盤を用いて制作したの長編映画。タイトルにもなっているおとぎ話を書いたアンデルセンやこの話にふさわしいチャイコフスキーの「白鳥の湖」の音楽だけでなく、ジョージ・オーウェルの「動物農園」などが取り入れられている。しかしこれも驚くべきことではない。というのも、「醜いアヒル」は複雑ではあるものの、「外国人恐怖」をテーマにしたすべての年齢の人々に理解できるストーリーだからである。
「スメシャーリキ」の制作スタッフらによって作られた教育的な目的を持つ大衆科学アニメ。主な登場人物は、さまざまな設備の中に住んでいる小さなロボットが、ディムディムィチという少年と仲良くなり、その友達や家族とも親しくなり、冷蔵庫からUSBメモリに至るまで、自分たちの周りのものについて話し始める。
アンデルセンの童話を3Dグラフィックを使用してリメイクしたこの作品は、「アナと雪の女王」を予感させる。このアニメが外国で人気を博しているのはまさにこれが理由かもしれない。
「雪の女王」をテーマにしたこのシリーズアニメは、主人公やゲルダとカイではなく、トロルのオルムが前面に押し出されているが、数十カ国で公開された。特に中国では大きな人気を博し、共同制作で続編が作られた。
1986年に制作されたソ連の同名のファンタジー映画を近代化したもので、監督はゲオルギー・ダネリヤ。アニメ版は、時代に関わらないロシア人社会の日常や道徳についての、宇宙規模の風刺のもっとシンプルで、国際的なものになっている。
ベルリン映画祭の受賞作品。父と息子の複雑な関係と、子どもの傷に対する働きかけをテーマにした悲しくも、心理療法的アニメ。
少年ミーシャはすっかり大きくなったが、親の温もりを感じられずにいた。子供の頃の思い出の中にいた大きくて優しいヘラジカについに会うことを夢見ていた。それは父親が産院からミーシャを連れて帰った時に着ていたセーターに描かれていたヘラジカである。その夢の中で、ミーシャは現実社会を忘れ、そして自分の感情をうまく表現できずにいたものの息子を愛していた父親を忘れていく。
もう一つ、アヌシー映画祭で特別賞を受賞したアニメ作品。監督は、ウラルの芸術家で演出家のアンナ・ブダノワ。主人公の女性は、高齢女性で、鏡をのぞいては、自分のすべての希望と幸せな人生を台無しにした自分の「大切な女友達」オビダを思い出す。
*ロシア語で「オビダ」は恨みをいう意味。
アカデミー賞にノミネートされたコンスタンチン・ブロンジット監督の作品はクリストファー・ノーラン監督の「インターステラー」に劣らぬビジュアル性、ストーリー性がある。
ストーリーは、子どもの頃から宇宙飛行士になることを夢見ていた二人の友人が、共に同じ世界で学んでいるのだが、一人は宇宙へと向かうことになり、もう一人はバックアップ要員となる。しかし映画は星空を夢見ることではなく、宇宙の大きさよりも大きな、引き裂かれた友情が主題となっている。
普遍的なアニメシリーズで、ロシアのテレビで放映された後、Nickelodeon とNetflixが購入したこの作品は、3匹の雄猫と1匹の雌猫を育てる子沢山のネコ一家について語ったもの。短い作品の中では、子ねこたちの毎日の冒険が描かれている。雄猫たちは本能のままに行動し、小さな雌猫は理性で判断し、親の前で責任を果たそうとする。ちなみに親は、多くの賢明な人生の教訓を語っていて、もっとも過激な冒険も、最後には「にゃーにゃー」という仲良し家族の温かい絆で終わる。
外国では、スクリーンライフホラー「アンフレンディド」のレオ・ガブリアッゼ監督のユニークな作品。このアニメは、ソ連の有名な映画監督であった父のレゾ・ガブリアッゼの子供時代の思い出を語ったもので、レゾ・ガブリアッゼの絵を基に作られている。そこに描かれているのは、子どもの夢や幻想だけでなく、第二次世界大戦後のジョージア(グルジア)の小さな村に暮らした10歳のレゾの重苦しい現実である。
ティーンエイジャー向けのアニメであるが、どの年齢層にも同じように受け入れられるものである。人気アニメ「リック・アンド・モーティ」の一種のロシア版を考案、制作したのは、「スメシャーリキ」の初代の脚本家の一人、アレクセイ・レベジェフである。
ある日、出会ったペーチャと狼は、一緒に働き、奇妙な問題を解決するために有名なおとぎ話の主人公たちを助けている。しかも、これらすべてが、ロシアの文化や世界の文化の明確な言及や、子どもだけでなく大人も思わず笑ってしまうようなジョークが散りばめられている。
優れたロシアのアニメーター、アンドレイ・フルジャノフスキーがニコライ・ゴーゴリの短編小説とドミトリー・ショスタコーヴィチの音楽的解釈を下敷きに制作した代表的作品。ただし、実際、映画はロシアの真の歴史を描いたものである。いくつものアニメ制作技術を用いて、哲学的・諷刺的コラージュが使われている。フルジャノフスキーは観客に19世紀から現在までのロシアの「文化コード」に浸らせる。
アカデミー賞にノミネートされたアントン・ヂヤコフの作品。残忍なボクサーと傷つきやすいバレリーナとの関係について描いた作品で、漫画のグラフィックの力と、ビジュアル的には乏しいエドガー・ドガの絵画のパラフレーズが融合されている。ここで描かれるダンサーとスポーツ選手たちは、イメージとはかけ離れた存在であるが、共通したスポーツ精神がそれらを連帯させる。
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