『アレクサンドル・プーシキンの肖像画』、オレスト・キプレンスキー作、1827年
トレチャコフ美術館詩人は37歳の若さで、決闘で死んだ。4人の子供がいたが、子孫を残したのは2人だけだ。長男のアレクサンドルは、ロシア軍の陸軍大将となり、娘ナタリアは、ドイツ・ナッサウ公国の公子、ニコラウス・ヴィルヘルム・フォン・ナッサウと、いわゆる貴賤結婚している(ナタリアは王家の血をひいていないため)。
アレクサンドル・プーシキン(1833-1914)とナタリア・プシキン(1836-1913)
Public Domainナターリヤの娘ゾフィーは、1891年にロシアのミハイル・ミハイロヴィチ大公と結婚。これも貴賤結婚であり、そのために大公は、ロシアを去らなければならなくなった。現在、このプーシキン=ロマノフ家の子孫は、イギリスに住んでいる。
その一人が、例えば、ヒュー・グローヴナー(第7代ウェストミンスター公爵)だ。彼は大富豪で、総資産額は130億米ドルに達し、30歳未満の中では、世界で最も富裕だが、その私生活はマスコミの目から慎重に隠している。
ヒュー・グローヴナー
Legion Mediaこの系統の子孫に、英国貴族、マリタ・フィリップスもいる。彼女は、名高い祖先の作品に関心をもち、オペラ「プーシキン」を構想し、台本を書いた。
マリタ・フィリップス
ZIMA MAGAZINE/youtube.comプーシキン姓を持つ、いちばん最近の直系の子孫は、その名もアレクサンドル・プーシキン。彼は、ベルギーに住み、慈善家で、ベルギーのロシア貴族協会の会長を務めている。ちなみに彼は、やはりプーシキン直系の子孫であるマリア・マドレーヌ・ドゥルノヴォと結婚している。
アレクサンドル・プーシキンとマリア・マドレーヌ・ドゥルノヴォ
sputnik.mdレフ・トルストイ
Sergey Prokudin-Gorsky/Leo Tolstoy State Museum最も多作なロシア作家は、子だくさんでもあり、13人の子供と多くの孫がいた。トルストイの一族は、今でもロシア最大の一門の一つだ。1917年のロシア革命後、彼の子孫の多くは祖国を去った。で、現在は、『戦争と平和』の作者の子孫が世界中に住んでいるわけだ。2年ごとに、約200人に及ぶ子孫たちが、トルストイの生まれ故郷、ヤースナヤ・ポリャーナに集まる。
トルストイ一族が公園にて、1892年
Press photo今日、ロシアで最も有名なトルストイ直系の子孫は、テレビ司会者の、フョークラ・トルスタヤとピョートル・トルストイだろう。前者は、トルストイの作品のデジタル・プロジェクトを立ち上げてサポートし(これにより、作家の「90巻全集」がデジタル化された)、後者は今、下院議員になっている。
フョークラ・トルスタヤ
PhotoXpressピョートル・トルストイ
duma.gov.ru (CC BY 4.0)ウラジーミル・トルストイも、二人に劣らず有名だ。ヤースナヤ・ポリャーナ博物館の館長を長年務め、今は、ロシア連邦大統領の文化顧問を務める。
ウラジーミル・トルストイ
Vladimir Pesnya/Sputnikロンドンにも子孫が住んでいる。写真家のオレグ・トルストイだ。彼は、エルトン・ジョンを含む、世界の有名人多数のポートレートを撮っている。ヤースナヤ・ポリャーナでの集まりで、トルストイの子孫の写真アルバムを作成したこともある。
『フョードル・ドストエフスキーの肖像画』、ヴァシリー・ペロフ作、1872年
トレチャコフ美術館ドストエフスキーには4人の子供がいた。2人は夭折したが、他の2人は1917年の革命を生き延びた。作家の娘リュボーフィはヨーロッパに移住し、回想録『娘の思い出の中のドストエフスキー』を書いた(しかし専門家たちは、この本には不正確な点が少なくないと考えている)。
リュボーフィ・ドストエフスキー
プーシキン国立博物館息子フョードルは、父親と同じく作家になろうとしたが、この方面では成功しなかった。しかし、彼はアーカイブを大切に保存した(それまでは、母親〈作家の妻〉が注意深く保管していた)。
フョードル・ドストエフスキー(息子)
Public Domain作家の曾孫ドミトリーは、サンクトペテルブルクに住んでいる。インタビューで彼は、自分の性格は有名な曾祖父に似ている、と言った。彼は、高等教育を受けておらず(ドストエフスキーだって、工兵学校の出身で、自分の専門では働かなかったじゃないか、と彼は言った)、20種類以上の仕事を転々とした。路面電車の運転士として長い間働いていたこともある。
ドミトリー・ドストエフスキー
Alexander Ovchinnikov/TASSウラジーミル・マヤコフスキー
Public Domain「銀の時代」のセックスシンボルの個人生活は、非常に興味をそそるものだった。彼の「公式の」愛人かつミューズは、リーリャ・ブリークだ。二人は、リーリャの夫、オシップ・ブリークといっしょに三人で同棲したが、周知の通り、二人のロマンスは「物理的な痕跡」を残さなかった。
にもかかわらず、この三角関係の「傍らで」、詩人に子供が二人生まれたことが知られている。
一人は、画家エリザヴェータ・ラヴィンスキーとの間に生まれた彫刻家ニキータ・ラヴィンスキーだ。長い間、彼は舞台美術家アントン・ラヴィンスキーの息子だと思われていた。この舞台美術家は、マヤコフスキーとともに舞台を制作している。ニキータはもう亡くなっているが、その子供、ウラジーミル・ラヴィンスキーとエリザヴェータ・ラヴィンスカヤも、アーティストになっている。
ニキータ・ラヴィンスキー
トムスク理科大学マヤコフスキーには、娘パトリシアもいた。パトリシアは、詩人がアメリカに旅行したときに、ロシア系移民エリー・ジョーンズとの短いロマンスから生まれた。
詩人は、子供が生まれたという知らせに歓喜し、エリーと娘に会うために、ソ連を出国してパリに行こうとしたが、それ以上の関係は進まなかった。まもなくマヤコフスキーが自殺したからだ。やっと9歳のときにパトリシアは、本当の父親が誰であるかを知り、1991年にこれを公表してスキャンダルを引き起こした。
マヤコフスキーの娘パトリシア・トムプソン
Oleg Buldakov/TASSパトリシアは、つい最近の2016年に亡くなったが、詩人のニューヨーク旅行に関する本『マンハッタンのマヤコフスキー』を残している。この本は、パトリシアと彼女の母親の会話に基づいている。パトリシアは、自分をエレーナ・ウラジーミロヴナ・マヤコフスカヤと呼ぶように求め、ロシア人や詩の愛好家の間では、その名で知られている。
詩人の娘への、ロシア・ビヨンドによる独占インタビューはこちら。
ウラジーミル・ナボコフ
Public Domain作家は有名人の息子だった。父ウラジーミル・ドミトリエヴィチ・ナボコフは政治家で、自由主義政党の立憲民主党(カデット)の幹部の一人であり、ボリシェヴィキ政権に激しく反対していた。このため、一家は、内戦中にロシアから亡命しなければならず、亡命から間もなく、父は演説中に暗殺された。
ウラジーミル・ナボコフは、ドイツ、アメリカ、スイスに長い間住んでいた。一人息子ドミトリーは、ベルリンで生まれ、父に外見がそっくりだった。この若者は、ハーバード大学で学び、オペラで歌い、ロシア語を教え、CIA(米中央情報局)でも働いている。
ドミトリー・ナボコフ
APしかしもちろん、ナボコフの愛読者やファンは、まず第一に、ドミトリーが父の作品を翻訳し、その遺産を保存したこと、そして父の意志に反して、2009年に未完の小説『ローラ』を発表したことに感謝している。ドミトリーは2012年に亡くなった。子供はいない。
ヨシフ・ブロツキー
Anefo/Croes, R. C. (CC BY-SA 3.0 NL)ブロツキーには、3人の子供がいるが、母親はそれぞれ違う。長男のアンドレイ・バスマノフは、画家マリアンナ・バスマノワの息子で、彼女と詩人の関係はかなり難しいものだったが、詩人は彼女に多くの詩を捧げている。
アンドレイは、人前に出ることを好まず、インタビューにもほとんど応じない。有名な父と外見は似ているが、詩人としての父を崇拝しているわけでもない。ブロツキーの、人間そのものではなく、「どこか世界の上のほうや、人間の背後にあるものを語る」詩は、アンドレイにはピンとこないという。
アンドレイ・バスマノフ
Ilya Snopchenko/ IA "Dialog"アンドレイは、建設現場で働いたり、車掌になったりしている。彼の娘ペラゲーヤは、有名な祖父にもっと関心をもっているようだ。彼女は、「私も祖父と同じく、藻の匂いが好きで、親近感を感じる」とインタビューで言った。
ブロツキーの孫娘は学生で、2019年に彼女は、Tatler誌の主催した舞踏会でデビューし、社交界入りした。
ブロツキーとバレリーナのマリアンナ・クズネツォワとの短いロマンスから、娘アナスタシアが生まれたが、彼は娘と一度もあったことはない。出産の直後に亡命してしまったからで、アナスタシア自身はやっと23歳のときに、父が誰かを知った。
アナスタシア・クズネツォワ
トムスク国立大学アナスタシアは、サンクトペテルブルクのクラブで、グループで歌っており、奇妙なことだが、シンガーソングライターへの興味がもとで、アンドレイ・バスマノフと親しくなった。そのときは、自分たちが兄妹であることを知らなかった。
ブロツキーは、亡命先の米国でマリア・ソッツァニと結婚し、娘アンナが生まれた。アンナはイギリスに住んでいたが、今はイタリアに移住している。
アンア・ブロツキー
Kartozz/youtube.comアンナは、ロシア語を話せず、英語で父の詩を読んでいるが、じっくり何年もかけて読んでいきたいと思っているそうだ。
アンナは、ブロツキーの著作権の所有者だ。2015年にサンクトペテルブルクで、詩人の博物館が開館し、詩人の三人の子供全員が集まった。アンナがロシアを訪れたのはこのときだけだ。
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