1982年のロシアの様子(写真特集)

Sputnik
 1980年代前半は、スタグネーションの時代、もしくは、レオニード・ブレジネフが言ったように現実社会主義の時代であった。ブレジネフはほぼ20年間にわたり国を支配したが、ペレストロイカとして知られる変革の時代が緒についた年に死去した。

 ソ連指導者、レオニード・ブレジネフ書記長の健康はこのときすでにかなり悪かった。76歳時点の病状はとてもひどく、話す内容も支離滅裂であった。

 クリミア半島のダーチャで休暇を過ごすレオニード・ブレジネフ。

 スタグネーションの時代を象徴する写真

 19821110日に死去したレオニード・ブレジネフの葬列。この悲しみにくれた葬式は空前の規模で挙行された。

 CCCPUSSR)の文字が光る、カリーニン大通り(今のノーヴィ・アルバート通り)にて

 もっとも人気のあった流行歌手のひとりで大スターだったエディタ・ピエハ。両親はポーランド人で、父親は炭鉱夫であった。

 ソ連時代のもうひとりのスーパースター、俳優で歌手のミハイル・ボヤルスキー。レニングラードにて。1978年のソ連映画「ダルタニャンと三銃士」で全国的なアイドルになった。

 モスクワのメーデーの祝賀行事。レーニン廟の上にはレオニード・ブレジネフ始めソ連指導者とピオネールの子どもたちが見える。

 ウラル山地の都市、チェリャビンスクでのメーデーを祝う行進

 レニングラードにおける戦勝記念日に掲げられた巨大なレーニンの肖像画

 レニングラードで水泳を楽しむ人

 ピオネールが第二次世界大戦の退役軍人を歓迎する。

 女性労働者

 文化行事:シベリアの都市ノヴォクズネクツで映画館に向かう軍人たち。ソ連ではどんな小都市においても映画館か劇場が国家方針として設けられていた。

 エルミタージュ美術館で頬を赤らめるソ連市民たち

 ソ連の人々は山登りや岩登り、カヤックが大好きであった。

 電話ボックスの美学

 かつての貴族の屋敷で、ソ連時代は軍人用サナトリウムとして使われたアルハンゲリスコエを散歩する。

 ゴーリキー(ニジニ・ノヴゴロド)地方の結婚式

 コミ共和国の地質調査隊のメンバーが自由時間を使って金の採取をする。

 同じ調査にて、地質学者の子どもたち

 共同アパートの玄関。専用の呼び鈴がつくまでは、呼び出しには、ベル1回はある部屋、2回鳴らすともうひとつの部屋、など取り決めがあった。

 試験5分前

 ビール販売所

 1917年革命の記念日にモスクワ赤の広場で行われた軍事パレード 

 チュコトカ半島の海の狩人

 自動車レース

 児童公園にて

 サッカー観戦

 黒海沿岸、オルリョノク夏期子どもキャンプに参加するピオネールたち

 体育の授業で木製はしごから飛び降りる子どもたち

 学校の授業

 零下26度のモスクワ 

 冬にスキー講習を受けるソ連の生徒たち。スキーを抱えて運ぶ必要はない、学校から家まで文字通り滑って帰れるからだ。

 人々を結びつける料理、ペリメニ

 リサイクルのためにガラス瓶を集める。そう、ソ連はとてもエコ・フレンドリーな国だった。

 新年を祝うツリーのオーナメントを手作りする。 

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