バルバロッサ作戦(ナチス・ドイツとその同盟国によるソ連への侵攻作戦)の初期は、赤軍にとって真の悪夢となった。赤軍の防御陣地を突破して、ドイツ軍はソ連奥地へ急速に進撃していった。一部の地域では、ドイツ軍の進撃のペースは1日あたり最大30キロメートルに達した。
にもかかわらず、甚大な努力を払って、赤軍の一部の部隊は、国境で敵を長時間食い止めることができた。そうした部隊の1つが、第41狙撃師団の第102狙撃連隊で、西ウクライナのリヴォフ市近くのラヴァ・ルースキー要塞付近を守っていた。
この連隊は、開戦初日(6月22日)のドイツ軍の猛攻に耐えただけでなく、翌日午前8時に反撃を始めて、成功した。ソ連領から敵を駆逐した後、追撃を続け、いわゆる「ポーランド総督府」(1939年に占領下のポーランドの領土でドイツが創設)に入り、3キロメートル前進した。
同日夜、ソ連兵は陣地に戻った。第41狙撃師団は、6月27日までラヴァ・ルースキー要塞付近を守り続けたが、主力部隊から切り離される恐れがあったため、そこから撤退しなければならなかった。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。