過去25年間の「ミス・ロシア」優勝者!(写真特集)

Russia Beyond (Vitaly Arutyunov/Sputnik; Dmitry Korobeinikov/Sputnik; Grigory Sysoev/TASS; Vyacheslav Prokofiev/TASS)
 「ミス・ロシア」コンテストは、1993年に初めて開催されてから、現在まで続いている。これまでにどのような女性がこの栄冠に輝いてきたのか、そして「ミス・ロシア」で優勝した彼女たちは、その後、どんな人生を送っているのだろうか?

アンナ・バイチク、1993年

 この栄冠を手にしたとき、アンナはわずか16歳であった。その賞金で彼女は母親とマイアミに向かったが、職業としてのモデルの道には進まず、国際ジャーナリズム学科で勉学に励んだ。

インナ・ゾボワ、1994年

 「ミス・ロシア」に輝いたあと、インナはモスクワ大学を卒業し、パリに移住、トップモデルとしてのキャリアを積んだ。イヴ・サンローラン、エルメス、ジバンシーなどのファッションショーに出演し、世界のファッション雑誌の表紙を飾った。

 現在もパリで、ボーイフレンドであるフランスの写真家で映画監督のブルーノ・アヴェイラン氏と暮らしている。

エルミラ・トゥユシェワ、1995年 

 エルミラが優勝したのは18歳のとき。その後、大学を中退し、モデルとしての活動を始めた。並行して、映画デビューも果たし、ロシアの優れた監督アンドレイ・コンチャロフスキーの「グロス」にも出演している。 

アレクサンドラ・ペトロワ、1996年 

Aleksandr Ovchinnikov

 「ミス・ロシア」で優勝した後、16歳だったアレクサンドラには外国からの契約の話が多数押し寄せた。中でもモデル・エージェンシー「フォード・モデル」からの契約はかなり高額であったが、そのためには体重を落とし、英語を勉強し、ショートカットにしなければならなかったため、彼女はこれを断った。

 アレクサンドラの運命は悲劇的なものとなった。故郷のチェボクサールィで、頭部を銃撃されたのである。殺し屋は、犯罪界の大物だった彼女のパートナーを狙っていたが、誤ってアレクサンドラに銃弾が当たった。20歳の誕生日を迎える2日前に彼女はこの世を去った。

エレーナ・ロゴジナ、1997年 

 ロシアでのコンテストの優勝後、エレーナは「ミス・ヨーロッパ」に輝き、ビジネスマンのデニス・エルショフと結婚、ロサンジェルスに移り住んで、モデルとなった。ロサンジェルスに1年半ほど暮らした後、ヨーロッパに戻ったが、社交界での華々しい生活を送ったわけではなかった。彼女は女の子を出産、その後、男の子を産んだ。2017年に夫を亡くした後は、ビジネスを起こし、ブルガリアの黒海沿岸で美容院とブティックを経営するようになった。 

アンナ・マロワ、1998年

 アンナは1993年から「ミス・ロシア」に挑み、待望の優勝を果たしたのは26歳のときだった。その後、多くの優勝者と同様、アメリカに移り住み、社交界の花となり、いくつかのコマーシャルの顔になった。著名投資家のジョージ・ソロス、コメディアンのギャリー・シャンドリングと交際していたとされている。2010年に、薬局の処方箋を偽造した罪で起訴され、麻薬依存の治療が必要であると判断された。

アンナ・クルグロワ、1999年 

 アンナは17歳のときに「ミス・ロシア」に優勝したが、その後は珍しいことに、そのようなイベントには一切出場せず、普通の生活に戻った。 

オクサナ・フョードロワ、2001年(2000年は開催されず)

 オクサナは警察学校を卒業していたが、2001年に「ミス・ロシア」で優勝を果たしたことから、ちょっと変わった警察官になった(彼女は民兵隊長の役職についていた)。彼女はこのコンテストでもっとも有名な出場者である。後に、「ミス・ユニバース」にも選ばれ、テレビのキャスター、女優としてのキャリアを積んだ。

スヴェトラーナ・コロリョワ、2002年

 同じ年にスヴェトラーナは「ミス・ヨーロッパ」にも選出され、モデル業界の道に進んだ。クラシカルな婦人服のブランドを立ち上げた。

ヴィクトリヤ・ロプィリョーワ、2003年

 コンテストの後、19歳だったヴィクトリヤはモスクワに移り住み、中央テレビで、スポーツ番組のキャスターとして働くようになった。2018年には、サッカーワールドカップのアンバサダーになった。

ディアナ・ザリポワ、2004年

 「ミス・ロシア」になったディアナは、国際的なコンテストにも何度か出場したが、最終的にはモデルにはならなかった。ディアナは大学に進学し、結婚し、二児の母となった。

アレクサンドラ・イワノフスカヤ、2005年

 「ミス・ロシア」の栄冠を手にした後、アレクサンドラはポルノ映画に出演していた女性と間違われるようになり、期せずして、暗い過去を持つことになってしまった。その結果、人前に出ることもなくなり、モデルとしてのキャリアも断念し、ヘアスタイリストの道を選んだ。

タチヤナ・コトワ、2006年

 タチヤナはショービジネスで大きな成功を収めた。2年にわたって、人気グループの「ヴィア・グラ」のメンバーとして活躍し、その後、ソロアーティストに転向した。 

クセニヤ・スヒノワ、2007年

 「ミス・ロシア」に選ばれた1年後、百万長者のセルゲイ・ゴヴャジンと交際を始め、ニューヨークでモデルになった。交際は長続きしなかったが、クセニヤはモデル業を続けた。「ロレアル・プロフェショナル」の顔を務めたこともある。 

ソフィヤ・ルヂエワ、2009年(2008年は開催されず)

 彼女の勝利は大きなスキャンダルとなった。コンテストの期間中に、15歳のときに外国の出版社のために撮影した卑猥な写真が流出したのである。コンテストが終わってからも、彼女はメディアで大きく取り上げられていたが、その後は話題にも上ることもなくなり、今はソーシャルネットワークにも姿はない。

イリーナ・ アントネンコ、2010年

 モデルをやめ、女優に転向した。チムール・ベクマンベトフ監督 の「ダーケスト・アワー消滅」に出演、衝撃的なデビューを果たした。

ナタリヤ・ガンチムロワ、2011年

 「ミス・ロシア」に輝いたあと、ロシアの主要な大学の一つであるロシア国立人文大学、国際関係・外国地域研究学部に入学し、ときおりファッションショーにも出演していた。現在はブロガーになっている。

エリザヴェータ・ゴロヴァノワ、2012年

 エリザヴェータ曰く、モデル業に興味を持ったことは一度もなく、コンテストへの出場は実験的なものだったという。医師一家に生まれたエリザヴェータだが、家族の伝統を破り、法律家として成功している。 

エルミラ・アブドラザコワ、2013年

 エルミラは、「ミス・ロシア」で優勝したことで嫌がらせを受けることとなる。コンテスト終了後、彼女のソーシャルネットワークのアカウントには、「あなたの優勝には賛同できない」というメッセージが数千も届き、その内容は外見や民族的アイデンティティーを侮辱するものであった。エルミラは一時的にアカウントを削除し、人々の前から姿を消した。

ユリヤ・アリポワ、2014年

 モデルとしてのキャリアを続けることはせず、二つの大学を卒業した。専門は熱エネルギーの技師と英語の通訳だった。

ソフィヤ・ニキチューク、2015年

 ソフィヤはスキャンダルによってキャリアを失った。彼女は雑誌の表紙のために、裸で、ロシアの国旗に身を包んだ写真を撮影し、これが検察の調査を受けることとなったのである。(国の象徴を侮辱したとして)起訴されることはなかったが、ソフィヤはそれ以降、公の場に出ることはなかった。

ヤーナ・ドブロヴォリスカヤ、2016年

 コンテストの後、ヤーナはモスクワ心理分析大学に入学し、心理士になった。プロデューサーたちは、今なお彼女にリアリティ・ショーへの出演を打診しているが、彼女はこれをすべて断っている。ヤーナはどれほど高額の出演料を約束されても、どんな栄光を約束されても、リアリティ・ショーには出演しないとしている。

ポリーナ・ポポワ、2017年

 ポリーナも「ミス・ロシア」に選ばれた後、すぐに姿を消し、ごく普通の家族との生活を楽しんでいる。結婚し、男の子をもうけたが、子どもの父親については明らかにしておらず、ソーシャルネットワークにもほとんど投稿はない。

ユリヤ・ポリャチヒナ、2018年 

 子どもの頃からモデルになるのが夢だったというユリヤだが、モデルとしてのキャリアを積むことはできなかった。数年後、オリガルヒの銀行家ルスタム・タリコの娘を出産したことが明らかになっている。 

アリーナ・サニコ、2019年

 アリーナは創作活動で自己実現し、画家になった。大学で建築を学び、建築家の資格もある。

アンナ・リンニコワ、2022年(新型コロナのため、2年間開催されず) 

 工場で仕事を始めたが、現在はモデルとして高額の契約を結ぶまでになった。この美しい彼女が現在何をしているのかについては、こちらからどうぞ。 

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