1901年、ダーチャで家族茶会
N. Scshapov / Press photo1900年代、ダーチャで休むピアニストのオリガ・グネシナ
Press photoアントン・チェーホフの「桜の園」で描写されているように、1917年のロシア革命以前の20世紀初頭、ダーチャは領地のようなものだった。テラス付きのおもむきある木造の建物、執事、食後の散歩道、家族の音楽会、読書の夕べが、ダーチャの構成要素だった。冬になると、街へと帰っていくのであった。
1900年、ダーチャでジャムづくり
N. Scshapov / Press photoロシア革命後にすべてが変わる。このような領地は「ブルジョア」の烙印を押され、国に没収された。新しくなった国の生活は、紅茶を飲みながらくつろいだり、葉が敷きつめられた遊歩道を優雅に散歩したりするのではなく、すべての国民を働かせるものだった。
1909年、ダーチャ滞在者が石造りのダムのまわりを散歩
N. Scshapov / Press photoソ連時代初期、文化学術の分野の著名人および高官のみに、ダーチャが与えられた。
ロシアの児童詩人、コルネイ・チュコフスキー/1958年
L. Bergoltseva / Press photoノーベル文学賞受賞者であるロシアの詩人および作家のボリス・パステルナークは、モスクワ郊外のペレジェルキノにある自身のダーチャに20年以上暮らした。隣人も有名人ぞろいだった。例えば、人気のロシアの児童詩人、コルネイ・チュコフスキー(写真上)。
1953年、「鎌・槌工場」の電気技師アンドレイ・セルゲエフのダーチャ
Press photo第二次世界大戦後、ソ連政府は土地を国民に割り当てた。土地は狭く(600m2、約180坪)、「600」と呼ばれていた。ダーチャの所有者は敷地内で小さな家を建て、残りの土地を畑にした。
1957年、機械工学士ウラジーミル・サヴィンが自身のダーチャに
M. Ozerskyi / Press photoダーチャはプライバシーを求める人にとって楽園、ソ連の国内追放の領域でもあった。
1950年、モスクワ近郊の村にいる休暇中の家族
D. Sholomovitch / Press photo子供たちは夏休みの3ヶ月間、母親や祖父母とともにダーチャに送られた。初恋をし、自転車の乗り方を覚え、湖で泳ぎ、釣りをした場所である。
21世紀に入り、多くのことが変わった。許容できる限り、ダーチャの土地を好きなだけ購入することができるようになり、ダーチャの一部はそれまでの典型的な木造の家ではなく、コテージのようにおしゃれになっている。それでも、いまだにダーチャと呼ばれており、多くの家族が夏をここで過ごしている。一家そろって数ヶ月間ダーチャに滞在するが、街に戻って仕事をしなければならない父親(または他の稼ぎ手)もいる。
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