ワシリー・カンディンスキーは、ロシアの優れた画家、造形美術理論家、抽象絵画の創始者の1人である。また「青騎士」グループの創設者の1人で、バウハウス(ドイツの建築および美術の高等学院で、同名の芸術家協会や建築の方向性を生んだ)の教授でもあった。
Wassily Kandinskyコンポジションはカンディンスキーの有名なシリーズ作品。その創作の模索が完全に表現されている。抽象画を始める前、表現主義、フォーヴィスムの実験的模索を行い、ロシア・デカダン派に属していた。コンポジション最初は1910年作で、最後は1939年作。あわせて10作あるが、第二次世界大戦で最初の3作が消滅しており、その一部のスケッチの写真が残っているのみとなっている。
Wassily Kandinsky本人談によると、カンディンスキーの抽象画は対象物からの距離に応じて、印象、即興、構成の3つのグループにわかれるという。印象は外界から受ける直接的な印象であり、即興は内なる印象の無意識的な表現である。
Wassily Kandinskyコンポジションは抽象画の最高かつ連続的な形式である。現実との直接的な関係はない。色彩豊かな点と線は魂をつかむ自然な動きを形成している。
Wassily Kandinskyカンディンスキーの概念におけるコンポジションとは、あらゆる創作活動の基礎である。そのため、カンディンスキーの他の絵画とは異なっている。「最初から『コンポジション』という一語が、祈祷文のように響いていた」と本人は書いている。
Wassily Kandinskyコンポジション8は、シリーズの中でもっとも有名な作品。これはロシアおよびバウハウスでカンディンスキーが吸収した、絶対主義および構成主義の影響を反映している。
Wassily Kandinskyカンディンスキーは、壁に立てかけてあった自分の絵画を偶然見た時に起こった、意識の中の転換を描いた。突如としてそこに「色彩豊かな点のみでできている、内なる燃焼で満たされた何ともいえぬ美しい絵」を見た。この時、具象性が自分の絵にとって有害であることを感じた。
Wassily Kandinskyコンポジションは、抽象芸術へのかけだしから晩年のパリまで、バウハウス派の伝統に沿った厳しい幾何学性から離れ、ジョアン・ミロやジャン・アルプなどのシュルレアリストのパリ派の影響を受けてよりやわらかなフォームへと移った時の、カンディンスキーの創作すべてを通じたものである。
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