19世紀、お菓子の包み紙は、ヴァスネツォフやヴルーベリといった、ロシア有数の有名な芸術家によってデザインされていた。ソ連初期、包み紙のデザインはアバンギャルドになった。カンディンスキーとロトチェンコは、キャンディーの消費者に気づかれないことの多い、絵の後ろに隠れた巨匠のうちの2人にすぎない。//この「赤ずきんちゃん」は、芸術家で教会史家のミハイル・グボニンの作品。
シドニー・ヴィチドミニ1851年、ドイツの実業家セオドア・フェルディナント・フォン・アイネムは、自身の名前のついたアイネム菓子工場をロシアで創業した。ロシア革命後、工場は国営化され、「第1菓子工場」との名称に変更された。1922年、工場の名前は「赤い十月」になった。カラフルな包み紙でソ連の子どもの興味を引きつけたことで知られる。//画像は「赤いけしの花」。1927年にボリショイ劇場で披露された同名のバレエにちなんでいるようだ。これは近代的な革命をテーマにしたソ連最初のバレエだった。
シドニー・ヴィチドミニ芸術がいかに包み紙のスタイルに用いられたのかを明確に示しているのは、「クマのミーシャ」。「ぶきっちょなミーシカ」というロシア語のタイトルは、人気の童謡をほうふつとさせる。絵は1889年にイヴァン・シシキンとコンスタンチン・サヴィツキーが描いた「松の森の朝」の再現である。
シドニー・ヴィチドミニ「赤い十月」のチョコレートとキャンディーはかなり高く、ソ連の平均的な児童にはなかなか手が届かなかった。そのため、包み紙で遊んだ。親指のタッチでファンティクを巧みにはじいて、勝ち負けを決める。//アレクセイ・トルストイの民話にもとづいた1955年のアニメのオンドリ。
シドニー・ヴィチドミニ「赤い十月」の包み紙には、ソ連史のさまざまな場面がある。パイロット、五輪、宇宙開発のシリーズもあった。表示の「ストリチヌィエ」は「首都のチョコレート」を意味する。ウォッカ入りの中身とスターリン様式の超高層建築群「セブン・シスターズ」が特徴。
シドニー・ヴィチドミニソ連が崩壊した後、「赤い十月」は民営化され、2002年、人気の「ババエフスキー」や「ロト・フロント」などの多くのブランドを統合したホールディング「オブエディニョンヌィエ・コンジテルィ」に加わった。ロト・フロントは包み紙で首都のテーマを模倣している。「モスクワの灯火」には、夜空の下で輝くスターリン様式の同じ建物が描かれている。
シドニー・ヴィチドミニ別のロト・フロントの製品「ザモスクヴォレチエ」。モスクワの歴史地区の一ヶ所の名前にちなんでいる。かつてここには商人が暮らしていた。絵はその主な建築物を描いている。
シドニー・ヴィチドミニリスを意味する「ベロチカ」は、ババエフスキーの不滅のブランド品。ロシア市場では、他の多くのプラリネチョコレートが、このデザインを模倣している。動物にちなんだお菓子の名前はロシアでは一般的。
シドニー・ヴィチドミニクラシックな例は、「コロフカ」すなわち子牛。もともとポーランドでつくられたファッジ・タフィー・キャンディで、その後ソ連国内各地、また世界中に流通した。
シドニー・ヴィチドミニ包み紙には時に、ノスタルジックな魅力がある。美しさやフォークロアを描き、同時に鋭い商業戦略を追及している。白とピンクの背景で、紳士が淑女に頭をさげている。「結婚してくれますか?」と言っているのだろうか。
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