「タイタニック」を撮影するジェームズ・キャメロン監督を助けたロシアの深海探査艇

Russia Beyond (James Cameron/20th Century Fox Film Corporation; Марк Агнор/Sputnik; Legion Media)
 1995年、大西洋の海底に安全に潜ることができたのは2つの探査艇だけで、それはロシアのものだった。

 1996年、今ではカルト映画と位置付けられているジェームズ・キャメロン監督の「タイタニック」が封切られた。映画はわずか25日間で、2億ドルという当時の記録的な興行収入を上げた。しかし、「オスカー」を受賞するのには、別の勝利があった。プロデューサーたちはキャメロン監督のことを狂人と呼んだ。というのも、当時不可能だった、本物の衣装や沈んだ船のインテリアをスクリーン上で再現しようとしたのである。

 キャメロン監督は沈んだ「タイタニック」号の残骸を見ようとしたのである。そしてこれを実現するのを助けることができるのはロシア人だけだった。

ロシアへの航空便

「ミール1」と「ミール2」を乗せた調査船「アカデミク・ケルディシ」

 映画が上映される10年前、キャメロン監督はスティーヴン・ロウ監督のドキュメンタリー映画「タイタニック」を見た。そこには、ロシアの調査艇「ミール1」と「ミール2」が出動して撮影した大西洋の水深3800メートルの場所にある本物の破片のシーンが出てくる。この2隻の船は当時、潜水艇の中で最高のレベルのもので、そのことはアメリカの技術発展センターも認めていた。そこで監督はロシアの研究者のもとに向かったのである。

 監督は、「ミール1」と「ミール2」を乗せた調査船「アカデミク・ケルディシ」の母港であるカリーニングラードに飛んだ。計画は細かく練られ、そして多大の資金を要した。

深海探査艇「ミール」、1994年

 ロシアの学者アナトーリー・サガレヴィチは、当時を回想してこう述べている。「彼は2年もの間、熟考しました。もちろん、この2年間にわたしたちのやり取りも含める。というのも当時は電子メールなどなく、ファクスでやり取りしたからです」。このサガレヴィチこそ、スティーヴン・ロウの撮影のために、「ミール」で「タイタニック」号に向かった人物である。 

ロシアの学者アナトーリー・サガレヴィチ

 目的は実際、きわめて野望的なものであった。なぜならキャメロン監督は、「タイタニック」の実際の内装を資料として残すだけでなく、この映像を映画に含めようとしたのである。しかし、スタジオの技術はそれには合致しないことが分かった。

 キャメロン監督と仕事をした水力飛行士のエヴゲーニー・チェルニャエフ氏は語っている。「彼はステレオ撮影をしようとしました。1つの箱の中にカメラを2つ入れなければならず、そのためにはカメラを2分の1の厚みにしなければならなかったのです。そこで彼はソニーに問い合わせたわけですが、ソニーはそれは可能であるが、そのためにはカメラ1台につき25万ドルではなく、100万ドル必要だと答えたのです。すると、キャメロン監督は、「ええ、支払います」と答えたのです。

ランプをつけたロボット 

 深海探査艇を乗せた「アカデミク・ケルディシ」は「タイタニック」が沈んだ場所に20日間の予定で出発した。そして、この間に、キャメロン監督と乗組員は20回以上、潜水した。

 キャメロン監督は、自著「Exploring the Deep」の中で、「もしわたしにとって壮大な冒険だったとしたら、それはアナトリーと彼の仲間たちにとっては『朝飯前にとんでもないことをする』という普通の作業でした」と書いている。ロシアの学者たちによれば、キャメロン監督は潜水もうまく行うことができ、すべてをすぐに習得した。

 サガレヴィチ氏によれば、「圧力は500気圧で、窓には160トン以上の力がかかる。それは戦車4台の重さと同じ」なのだという。

 カセットのテープはわずか20分しかなかった。これを1度の潜水で使用する。カメラは船上に特別な油圧ユニットの中にあった。2隻の「ミール」には小さな遠隔操作のモジュールが設置され、それが「タイタニック」の中に投入された。この小さなリモートコントロールつきのロボットが、海藻の生えた船体や甲板、船室など、船の中をくまなく探査したのである。

ジェームズ・キャメロン、1997年

 「わたしたちは、この機械を通すことができる『タイタニック』のあらゆる場所を調べました。船室にも入り、ベッドや洗面台、鏡を見ました。わたしたちは誰がこの船室にいたのかを調べ、これらの人々の服や私物を発見しました。船倉にも行き、貨物もチェックしました」とキャメロン監督は語っている。 

 深海での撮影に何らかの意味を持たせるために、専門家たちは機材に1つあたり1200ワットの水銀ハロゲンヨウ素ランプをつけた。

 いくつかの潜水シーンが映画に使われているが、大半は資料として使用された。つまりこれを基に「タイタニック」の模型や内装が作られたのである。 

「ジェームズ・キャメロンのタイタニックの秘密」の1シーン

 映画の正式な封切りは1997年、東京国際映画祭で行われた。キャメロン監督は、ロシアの学者らと最終的にさらに4つの映画を撮影した。続いて撮影されたドキュメンタリー映画は、「ジェームズ・キャメロンのタイタニックの秘密」(2001)、さらに海底4700メートルで撮影した「海底の戦艦ビスマルク」(2002)、「Last Mysteries of the Titanic」(2005)、「エイリアンズ・オブ・ザ・ディープ」の4作である。

「ミール」はこれ以外にどこで潜水を行ったか? 

 2隻の「ミール」は最大で深さ6000メートルまで潜ることができ、世界の海洋全体の98.5%に到達できると考えられている。元々、深海探査艇は、研究調査と捜索活動のために作られた。 

 最初の潜水は1987年に行われた。以来、わずか4年で2隻の「ミール」は35の学術調査を行った。

 海洋だけでなく、「ミール」は 地球上で最も深いバイカル湖底にも送られた。2009年8月、「ミール」でバイカル湖底に潜った者の中にはウラジーミル・プーチン大統領もいた。 

バイカル湖底に潜水する前の「ミール」

 2000年代に、「ミール」の協力を得て、バレンツ海で沈んだ潜水艦「クールスク」の調査が行われた。また金を積んで沈んだ日本の潜水艦の捜索作業も行われた。また第二次世界大戦中に戦艦ビスマルクが沈んだ場所の調査も実施された。

 2007年、ロシアの「ミール」は世界で初めて、北氷洋の海底―4300メートルに潜水した。乗員は土壌のサンプルを採取し、そこにチタン製のロシアの国旗を立てた。

 深海調査艇は今もカリーニングラードを拠点としているが、調査や救助活動には参加していない。「ミール1」は世界海洋博物館の展示物となり(ただし、船は今すぐにでも活動できる状態にあり、必要であれば「ケルディシ」に戻れるとされている)、「ミール2」はロシア科学アカデミー海洋学研究所の倉庫で埃をかぶっている。

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