1959年に造られたこの駅は、モスクワ川にかかる橋の上に造られた。このような形で設計されたロシアで最初の駅だ。1990年代に駅は改装され、2010年からは陶磁器、人形、動物彫刻や時代の衣裳などの展示ホールとしても使われている。幸運なら、季節ごとに開かれるロシアのスポーツや宇宙探査の偉業を紹介する展示を見ることが出来る。
駅の建設は1970年代に始まったが、マネージメントの不手際により一旦凍結された。結局開業出来たのは2014年8月27日でこの日には近くのモスクワ・スパルタクのスタジアムも完成した。この駅は、サッカーにまつわるパネルが飾られ、FCスパルタクのチームカラーである赤と白を基調としている。
近くにあるスタジアムの名前をとったこの地下鉄駅のテーマは当時ソ連が力を入れていた健康とスポーツである。地上部分の駅舎のデザインはオリンピック発祥地古代ギリシャに敬意を払ったものだ。大理石製のコリント式の柱はスポーツ競技を描いたフリーズと浅浮彫で飾られている。
地下部分の装飾はさらに落ち着いたもので、7種類の大理石が用いられている。壁は色々な競技の情景を描いた陶磁器製の円盤で飾られている。
1935年に開業し、当時世界で最も長い地下鉄駅であった。しかしその肩書は今は失われている。(最も長い駅は現在はヴォロビヨーヴィ・ゴーリ駅である)。この駅は大理石が多く使われ、灰色の多面体の柱の表面や灰色と白の格子柄の床を飾っている。赤の広場に最も近いこの駅は、モスクワの主要なダウンタウンストリート、オホートヌィ・リャードに続いている。
この駅からは、ソ連の偉大な産業的成果を展示している全ロ博覧センター(VDNKH)に行くことが出来る。多数のテーマごとに造られた展示館は新しく改装され、今では、美術館、スポーツ、水族館、レストランなどの幅広い施設も備えられている。巨大な伝統的なロシア陶器グジェリは1997年に作られたもので、19世紀の市場やいくつかの修道院が描かれている。
この駅は、レオニード・ポリャコフという、モスクワに7つあるスターリン建築洋式の建物の一つを設計した建築家によってデザインされた。駅の床は、独特の絨毯模様を形どっている多色花崗岩の一枚岩から出来ており、柱は白い陶器製の花束で飾られている。シャンデリアは滑らかなブロンズでできている。この駅は防衛省の隣にあるため、戦争が起こった時にはこの駅は軍将校用のシェルターにすぐさま変えることが出来るように設計されているという都市伝説がある。
この駅の装飾と駅名は航空機エンジンの設計者に捧げられている。ホールの突き当たりにある金属製の彫刻には、上昇気流に乗って飛ぶイカロスが表されている。
駅の天井は、太陽光と星のイメージから成る金メッキ処理された数多くのピラミッドで出来た魔法の絨毯のように見える。
この駅は世界で一番のロシア芸術の宝庫である国立トレチャコフ美術館の最寄り駅。駅の壁はロシアの芸術家、彫刻家、イコン画家を讃えるブロンズの浅浮き彫りで飾られている。正門の上部、エスカレーターまでのところにはトレチャコフ美術館の巨大なイメージ図がある。
モスクワで一番古いサーカスの最寄り駅で、駅もそれに相応しくデザインされている。たとえば、通路はサーカスの曲芸を描いた大きないろとりどりのステンドグラスの窓で飾られている。
インテリアは、1812年のナポレオン戦争や、第二次世界大戦といったロシア人民の偉大な勝利の抒情詩となっている。ソ連、ロシアの有名な芸術家、ズラプ・ツェレテリのデザインで南側ホールと北側ホールはそれぞれの戦いを讃えている。
モスクワの主要な公園ゴーリキー・パークの最寄り駅。5種の大理石で作られており、明るいグレーから黒のグラデーションの縞模様を作り出している。シャンデリアとソ連市民の労働と娯楽、模型の飛行機が飛び、ダンスをしたり、サッカーやテニスを楽しむゴーリキー・パークでの人々の様子を表した浅浮き彫りで飾られている。
2008年に開業した近代的な駅であるものの古い駅の美の基準に沿って作られている。フランスの有名な建築家、エクトール・ギマールの作品にインスパイアされて作られたスラビャンスキー・ブリバール駅は、金属の木や枝、葉など独特の装飾が施されており、パリの洗練された地下鉄を思わせる。
プローシャヂ・レヴォリューツィは1917年の社会主義革命をテーマにしている。兵士、農民、海軍兵、労働者、エンジニア、学生など、革命に参加した人々を表した76の銅像が置かれている。銅像を置く台のスペースが狭いことから、多くの像が座ったり、膝をついたり、しゃがんだりしている。幸運を呼ぶという犬の銅像の鼻に触れるのを忘れずに。
中世の建築をメインテーマにデザインされている。アーチの交差部分は中世の貴族会館のような交差ヴォールトになっている。柱はマジョリカ風の焼き物で飾られ、有名な16世紀のフィレンツェの彫刻家、アンドレア・デッラ・ロッビアのスタジオのようなスタイルとなっている。
壁のマドンナ像の代わりに、栄光に浴する海軍兵、戦車兵、飛行士などソ連軍の英雄たちの横顔を、勝利の旗やエナメルと金メッキで塗られた銃剣とともに見ることができる。
第二次世界大戦の最中に建設された駅であるにもかかわらず、豪華な装飾が施されている。ルネッサンススタイルの彫刻がついた巨大な大理石のベンチがプラットフォームに並んでいる。その上には旗、盾、銃やロシアの司令官たちの肖像画がついたブロンズの円形の浮き彫りがある。
ホール中央の天井には巨大な真鍮のシャンデリアとソ連時代の日常を描いたアレクサンドル・デイネカがデザインした6つのモザイク画が飾られている。
環状線にあるこの駅はソ連の指導者ニキータ・フルシチョフの個人的な指揮の下で設計された。エレガントな装飾といくつものモザイク画で、フルシチョフ元書記長は故郷ウクライナに敬意を表そうとした。駅が開業したあとも、フルシチョフ書記長は設計に過剰な豪華さを追求し、それによってこの地下の“宮殿”はその比類ない栄光を確かなものにした。ロビーは他の同様の駅のように大理石と花崗岩で装飾されており、柱はフィレンツェの建築様式の伝統にしたがい18枚のパネルが飾られている。浅浮き彫りのパネルは、コサックがロシアのツァーリ(皇帝)への忠誠を誓った1654年のペレヤスラヴ会議から1917年の10月革命までのロシアとウクライナの関係史を描いている。
ボリショイ劇場、赤の広場、クレムリンの最寄り駅であることから、ロシア人にも外国人にも深い印象を与える豪華な装飾が施されているのも驚くべきことではない。装飾の間にはソ連市民のダンスや音楽をテーマにした巨大な磁器の浮き彫りで飾られている。舞踏家や音楽家は、ソ連を構成していた共和国のうちの7つ、ジョージア、アルメニア、カザフスタン、ウズベキスタン、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの民族衣装を身につけている。
1938年に開業したアール・デコの傑作といえるこの駅は建築家アレクセイ・ドゥシキンによってデザインされた。建設には当時もっとも近代的な技術が用いられた。重い支柱の代わりに、航空機用の鋼でできた長くて細い円柱が置かれ、ホールをより巨大に見せている。またアレクサンドル・デイネカのスケッチを基にした多くのモザイク画で飾られている。テーマは「ソビエトの大地の24時間」で、2機の飛行機、穀物の収穫、スパスキー塔上空の飛行船など、ソ連時代の人気のテーマで描かれた作品となっている。
パヴェル・コリンのデザインによる32枚のステンドグラスで有名な駅。開業を前に、建築家らは駅のデザインがカトリック教会に似ているのではないかと懸念したという都市伝説がある。現在、モスクワっ子たちはこの駅を素晴らしい水中の世界になぞらえている。
6枚のステンドグラスのパネルは音楽家、農民、建築家など異なる職業の人々を表しており、残りの26枚には複雑な幾何学模様や星が描かれている。
スターリン主義建築の頂点に立つもの。エレガントなブロンドのシャンデリア、大理石のアーケード、石英ガラスでできた記念碑的モザイク画で飾られている。
現在、駅は古代の教会建築スタイルでデザインされた8枚のモザイク画で飾られている。有名なロシアの戦士、司令官、そして赤の広場でスピーチする革命の指導者ウラジーミル・レーニンを描いている。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。