「ユーリーの露は呪い除けに万病除け」とは、ロシアの農民たちの言葉である。彼らは古くから、ユーリーの日(旧暦で4月23日、新暦では5月6日)の朝に集めた露を特別視していた。この日は土地が「開く」ため、ユーリーの日の露は異教時代以来の「神聖な水」として、その治癒力が信じられた。農民たちはしばしば、村の司祭や教会の常務者に朝の野や、秋蒔きの麦の上を転がるように頼み、「収穫した束が重くなるよう」祈った。
「聖職者がそのような依頼を拒めば、押し倒されて無理やり転がされた」と、歴史学者のタチヤナ・アガプキナは書いている。
露転がり
Archive photo村の司祭にとって、信徒たちは村の隣人でもある。良好な関係を築かねばならない。しかし1774年の宗務院の決定により町人や農民の叙聖が停止されたため、司祭は聖職者階級からのみ選出されるようになった。聖職者階級は1760年代から、誕生(洗礼)・死亡・婚姻の戸籍記録作業を除いて、あらゆる租税その他の国家に対する義務を免除された。その一方、自主的に聖職から退くことは不可能だった。
司祭の各村や集落への配置は聖宗務院が決定した。村の司祭はたいていの場合よそ者であり、信徒たちとの信頼関係を構築するのは容易ではなかった。
村の住人の中で、最も敬われかつ恐れられていたのが司祭だった。男たちは司祭に会うと必ず帽子を取り、多くの者が祝福を授けてもらえるよう頼んだ。村人も、司祭に頼るところは多かった。長司祭アレクサンドル(ロザノフ、1825~1895)の著した『村司祭の記録』によれば、農民は、「特に夏季の昼は作業に忙しく、病人のもとに司祭を呼ぶ時間が無い。そのため、いかなる天候であれ、司祭を迎えに行くのは主に夜間であった」。
アキム・カルネエフ『洗礼』
V. Sukschyov Irkutsk Regional Art Museum臨終の者に聖傅機密を授けないことは大変な罪過であり、教会の重大な規律違反であった。しかし得てして老人は、うっかり時期尚早に死期を悟ってしまいがちである。長司祭アレクサンドル曰く、「司祭は昼夜を問わず天候を問わず、また己の病にも関係なく儀式の執行(洗礼、聖傅機密など)の準備をしていなくてはならない。いかなる仕事にも作業の時間と休憩の時間があるが、司祭はその限りではない」。
司祭は決して農民より裕福ではなかった。司祭の主な収入も、同じ農作業だったのだ。エレーナ・パンフィーロワが論文『19世紀末から20世紀初頭における教区専属司祭の経済状況』で行った計算によれば、村の司祭の俸給は極めて少なかったようだ。
「いわゆる“中程度の俸給”に基づき、司祭の年給は300ルーブル、輔祭は150ルーブル、誦経者は100ルーブル」。比較すると、1913年当時のごく一般的な労働者の月給は20ルーブル。現在の価値で計算すると、司祭の年給は3~8万ルーブルだが、それさえ確実に支払われたわけではない。
このため、司祭は儀式の料金を徴収した。個人の健康を願う祈祷、死者に対する祈祷、死後40日の追憶祈祷などなど。価格に規定は無く、信徒間での司祭の人気次第であった。当然ながら、結婚式や教会葬の際は司祭に謝礼が渡されるので、これは最も重要な収入源であった。
1900年代
Karl Bulla/MAMM/MDF教区が裕福であれば、司祭も裕福だった。しかし中小規模の村落では、司祭も司祭の妻も自ら耕し、工作し、養蜂を行った。或いは分与された土地を農民に貸し出し、「ルーガ」、すなわち作物で支払わる税を受け取った。また、大規模な聖堂祭に際して共同体からの司祭への贈り物も常態化していた。贈り物は聖堂祭に限らず、異教の祝祭に際しても行われることがあった。たとえばクルスク県では、司祭が家々を周って降誕祭の祝い品として食べ物を貰う風習が根付いていた。
しかし、いざとなれば村人は彼らのつましい司祭を断固として守った。農民たちはこのような司祭を褒めて曰く、司祭様はいつでも、どんな天気でも訪ねて行ける。司祭様の家は農家のように質素だ。馬が間に合わなければ、司祭様は歩いてでも病人の告解を聞きに来てくれる。貧民からは金を取らず、貸しにしてくれる。司祭様はウォッカの一杯にも付き合ってくれるし、子供たちに神の教えも説いてくれる。しかし国家と地方貴族が司祭に求めた役割には、また別の要素があった。
ヴァシーリー・ペロフ『モスクワ近郊、ムィティシでのお茶』1862年
Tretyakov Galleryニコライ1世の治世の頃から、司祭には新たな義務が課せられるようになった。国家は彼らに農業指導、村の教師、医師の役目を見出すようになった。まじない治療に幻滅していた農民も、司祭に助言を求めていた。村医者が登場するのはようやく19世紀後半になってからである。司祭様なら新聞も読むくらいだから、学がある、というわけだ。
司祭は戸籍の記録も行った。国家統計の進歩に伴い、出生数、私生児の数、先天異常の数、出生者の性別、婚姻数、独身者数、未亡人・男やもめの数など、司祭が記録する内容は多岐にわたった。
その他、司祭の業務には天候の観察もあり、気圧計と寒暖計を備えて毎日記録を行った。疫病や家畜の大量死が発生すると、司祭が防疫体制を監督した。また消防団は、農村の各家が水桶と砂入りのバケツを常備するように、司祭が働きかけてくれると期待した。
そして司祭は村でメンタルケアを担える唯一の存在で、夫婦間や隣人同士の争いごとの調停役だった。誰もが、司祭が空き時間を見つけて助力してくれると期待していたのである。
司祭が国家の指示に従わなければ、教会の運営機関である主教管区監督局に苦情が行き、同局から「直ちに指示を実行すべし」との書面が届く。主教管区と争うのは無意味であった。聖職者階級に対する主教の権力は絶大で、役人に対する皇帝の権力よりも強大であったほどだ。強情な司祭はすぐさま破門されることになる。
では、農民たちの世話や絶え間ないお願いやらに司祭の我慢の限界が来たとしたら、どうなったであろうか。呑兵衛の説諭もしなくてはならないし、時には男どもを農作業に追い立てるのも司祭の役目だ。不作となれば、地主は真っ先に司祭の責任を追及する。それに、厳しい司祭はなにかと非難されがちでもある。「司祭さん、あんた金ばっかり取るし、畑に追い立てるけど、ろくに祈祷もしてくれないじゃないか」
ヴァシーリー・ペロフ『村の復活大祭の十字架行進』1861年
Tretyakov Galleryそして、「優しくない」司祭や疲れきった司祭は、陰では呼び名が「バーチュシカ(司祭様)」から「ポプ(ぼうず)」に変わるのである。
農民たちの期待に応える「優しい」司祭と違い、学識豊かで教会の規則にも厳格な司祭は、農民からの人気も低い。そうした司祭は民衆によるビール醸造にも、教会の祭日に催される昼食会にも否定的で、また異教の風習や、岩石崇拝や樹木崇拝などにも抗した。信徒には祈祷や儀式を憶えるよう要求し、涜神には厳しい態度で臨んだ。
それでもなお、司祭を侮辱したり、罵ることは大変な罪とされていた。民間の迷信において、キリスト教の神父と古代の魔術師のイメージは重なってしまっていたのである。叙聖され、儀式や祈祷文を熟知する司祭には特別な力があり、その力は人の生命にまで及びうると考えられていた。
こうした考え方は、「道中で聖職位にある者、特に司祭と会うと運が悪くなり、道中の不幸を招く」という古くからの迷信にも反映されている。サムイル・マルシャークが1949年に執筆した詩『迷信』の中でも、テストで高得点を得たいヴァーリャという女の子が、(良くないジンクスなので)道で司祭に出会わないように祈るという内容がある。
アファナシイ・ラズマリーツィン『追悼式』1882年
Tretyakov Gallery先述したように、村の司祭は全ての出生や死亡を把握しており、結婚を祝福し、子供に洗礼を授けた。司祭は祈祷により「病を癒せる」と信じられていた。すなわち、魔術師や異教の神官に必要な要素を全て備えていた。そのため、農民たちは司祭の高い能力を見込み、さまざまな異教の風習に参加してもらおうと頼み込んだのである。冒頭で紹介した、露の上を転がるというのも、その一つだ。
「露の上を転がる司祭は、古代の魔術師や神官が豊穣の祈りとして行った儀式の名残であり、切実な宗教論争でもあり、キリスト教の信奉者に対して行われる、民間に根強く残る異教の風習の強要でもある」と、著名な言語学者アレクサンドル・ボブロフは論文『異教の秘蹟としての露転がり』で指摘している。
司祭は、異界との「扉を開く」役割が期待されていた。そのため、村で難産の女性がいると、司祭は教会にある王門を開いて、出産を軽くしてくれるように頼まれた。当然、村人はポルチャ(祟りによって病や災厄がもたらされること)に遭ったと思ったら、司祭を頼る事もあった。厳格な司祭なら迷信深さを叱り、破戒者に対する罰をも与えただろうが、「優しい」司祭なら「清め」の祈祷を詠んで家に帰した。
司祭に対しては、時には雨乞いまで求められた。その際、司祭は水を浴びせられるか、川に入るかする必要があった(典型的な「類間呪術」である)。村で呪術師が死ぬと、生き返らないように遺体にヤマナラシの杭を打ち込む儀式を行うが、その際にも司祭は立ち会いを頼まれた。他にも、自殺者の遺体を土から掘り起こして水に投げ込む儀式に立ち会うよう求められることもあった。これは、干ばつ除けのポピュラーな儀式の一つである。
当然、こうした異教の儀式への参加は、主教区の指導部から厳しく罰せられる可能性があった。しかし一方の村人は、もし雨が降ったり豊作になったりすれば、礼を惜しまない。もっとも儀式の効果が無くとも、司祭は「何事も神の思し召し」と言えば良かった。なにより彼の果たすべき役割は、村内の平和と調和の維持なのである。
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