ペルヴォウラルスク生まれのドミトリー・ナイムは1999年、14歳になったとき、気に入っていた女の子を初めてデートに誘った。彼女に気に入られようと、ドミトリーは父親の最初の自動車である1972年生のVAZ2106に彼女を乗せてドライブすることに決めた。ソ連時代は、西側の自動車を夢見る人などいなかった。給料は少なく、国産の自動車は品不足だったため、それを手に入れるのも非常に難しかったのである。ドミトリーは、父親が眠っている隙にこっそり鍵を盗み、運転席に座って、彼女とのデートに向かった。
VAZ2106自動車
Yuri Belozerov/TASS「彼女とドライブをして、月の光の下でキスをして。7月のことでした。ピアスをプレゼントして、運転の仕方を教えてあげました。もちろん、その後で両親にはこっぴどく叱られましたが、それだけの価値がありました」とナイムは回想する。
現在、ドミトリーは別の女性と結婚し、子どももいる。そしてあのときの父親の自動車はまだ走れる状態でガレージにあるのだそうだ。
ドミトリー曰く、ソ連時代に生まれ育ったロシア人に聞くと、 ソ連で作られたものはすべて、数世代にわたって使う予定で購入され、実際に長く使われているという。
買いたい商品を選ぶにあたっては、品不足が重要な意味を持っていた。特に地方の人々は、質のよい家具やテレビを手に入れるのは困難であることを知っていたため、基本的には、それらを製造する企業で働いていて、製品を直接手に入れることができる知り合いか親戚を通して購入した。そしてたとえばそのテレビを買うとき、いつそれを別のものに交換できるか、あるいは2台目を買えるのか、誰にも分からなかったからである。加えて、給料が少なかったため、皆、できるだけ長く使える質の良い製品を買いたいと考えた。
72歳のエレーナ・クラスノワはソ連時代タガンログに住んでいた。エレーナ曰く、地方では、品不足のために家具や電化製品を買うことは不可能であり、しかも少ない給料では買えるものもなかったという。テレビやカセットプレーヤーを買うためにはモスクワに、コーヒーミルを買うにはリガに(1940〜1991年、ラトヴィアはソ連の構成体であった)、また食器やクリスタルのシャンデリアを買うにはお隣の社会主義国であったチェコスロヴァキアに出かけた。
エレーナは言う。「チェコスロヴァキアでは300ルーブルを地元のクローンに両替し、それでチェコの食器やシャンデリアを買いました。なめし皮のコートも買えましたが、それは600ルーブルもして、とても高価でした。当時の平均給料は120ルーブルでしたから」。
サマラ出身の42歳のオリガ・パストゥシコワは、 子供の頃、両親に頼まれて、バターやソーセージ、カツレツを買うために行列に並んだことを覚えている。母親の家には、行列に並んで購入したガラスの花瓶の入ったソ連製の食器棚が今もある。
モスクワのグム百貨店でできた行列、1989年
Vladimir Vyatkin/Sputnik「母は今年亡くなりましたが、当時の品はまだ残っています。ソ連の製品は数は少ないながらも、非常に質がよかったのです」とパストゥシコワは言う。
サンクトペテルブルクの63歳のアレクセイ・ラコフシクも妻や義母とともにいろいろな行列に並んだのを覚えている。あるときには、スーパーで、妻の7枚組のショーツを買うために数時間並んだという。当時、このショーツは大変な品不足であった。
「妻はレニングラード商店で娘の毛皮を買うために数時間並んでいました。あるとき、妻と義母は紳士用の服の行列に並んでいたときにテレビ『ラドゥガ』を買いました。紳士用の服は売り切れてしまったのですが、そこにテレビが出てきたのですぐに買ったのです。当時は良い品はいつまでも使えると考えられていました。慣れたもの、便利なもの、丈夫なものが好きです」とラコフシクは話している。
レニングラードの百貨店にて、1984年
Sergey Smolsky/TASS常に品不足だったことから、人々の間では、長く使える丈夫なものを買う習慣が生まれた。すぐに新しいものを買わなくて済むようにである。
ソ連では製品の品質を国家が管理していた。1920年代には様々な製品の標準規格であるGOSTというシステムが作られ、1960年代にはすべての民間製品に「OTK」(技術管理部門)のスタンプが押された。ソ連の「品質マーク」は特別なものとなった。
また多くの製品は簡単に修理することができたとサンクトペテルブルクの56歳のドミトリー・ポポフは回想する。両親は1960年代に冷蔵庫ZILを買ったが、それは今でもダーチャで使われているという。
冷蔵庫ZILの製作過程
Valentin Sobolev/TASS「かつての製品は修理ができました。つまり修理代も新しいものを買うより安く済んだのです。先ほど話した冷蔵庫ももちろん古くなりましたが、限られた条件下では機能を果たしています。買ってから一度も大きな故障はありません」とポポフは語る。
典型的なソ連アパートの居間にて、1973年
TASSプスコフ州の村に住むマリーナが1970年代に購入した家具もすでに40年以上動いている。その家具を捨てるつもりはないとマリーナは言う。なぜなら、 何より美しく、「本物である」からだ。「なんでも、気に入ったものを買いました。当時の家具は自然の木で作られていて、本当に見た目がきれいなんです」。
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